防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
第20回公判の証人は、東京電力の堀内友雅(ほりうち・ともまさ)氏だった。1994年に入社、2007年から2011年7月まで、本店原子力設備管理部の土木技術グループ(G)に所属していた。現在は福島第一廃炉推進カンパニーの土木・建築設備グループ課長だ。
検察官役の山内久光弁護士の質問に答えて、2008年7月段階で沖合防潮堤の建設費を数百億円と概算していたことや、国や県への説明、設計や許認可を経て着工までに1年4か月かかるとした工程表をつくって武藤元副社長に示していたことを堀内氏は明らかにした。
「非常に高い壁を作らないと浸水する」
堀内氏の所属する土木技術Gは、防潮堤など港湾施設や、排水路など耐震重要度がそれほど高くない施設を担当している。
2008年当時、東電本店の原子力設備管理部(吉田昌郎部長)のもとには、「土木技術G」のほかに、津波想定や活断層調査を担当する「土木調査G」(これまで証人になった高尾誠氏、酒井俊朗氏、金戸俊道氏らが所属)、取水路など安全上重要な施設を担当する「土木耐震G」など、土木関係グループがいくつかあった。
このほか、建物の中に入っている設備の耐震を検討する「機器耐震技術G」、地震の揺れの評価や建屋の設計をする「建築G」などもある。
2008年4月23日、土木関係のGのほか、建築G、機器耐震Gなどの担当者が集まって打ち合わせが開かれた。ここで、想定津波高さが10数mとなる見込みで、海抜10m(10m盤)に設置されている主要な建物への浸水は致命的であるとの観点から、津波の進入方向に対して鉛直壁の設置を考慮した解析結果が提示された。
堀内氏は、この会合には出席していなかったが、出席していた土木技術Gの同僚から口頭で報告を受けた。
「非常に大きな津波評価が出たようだと聞いた」
「非常に高い壁をつくらないといけないという話だった」
「作るか作らないか決めたかまでは聞いていない」
と証言した。
反対尋問には「陸側の10m盤を全部覆う壁は必要ではなく、遡上高さが高くなっている部分に高い壁が必要になる」という認識も示した。これは東電側の主張と同じだ。ただし堀内氏は海の構造物の担当で、10m盤の上にたてる防潮壁は担当外だった。
詳しい工程表を武藤氏に提出した
2008年6月10日、原子力設備管理部の吉田部長、土木調査Gの酒井氏、高尾氏らと一緒に、堀内氏も出席して、武藤氏に津波評価と対策について説明がなされた。
この日は最終的な決定はされず、武藤氏から4つの宿題が出された。そのうちの一つは、堀内氏が担当することになった。沖合に防潮堤を設置するために必要となる許認可を調べることだ。
堀内氏は、以下のような工程表をつくった。
- 国・県への説明
- 温排水の予測
- 漁業補償交渉
- 防波堤設計 意思決定から1年
- 許認可 1年4か月
- 防波堤工事 1年4か月で着工
そして、工事着工後は1年で約600m分の防潮堤を作ることができると見積もった。既設の港湾をすっぽりカバーする約1.5kmから2km分なら、建設の意思決定から防潮堤完成まで約4年になる。
また費用としては、数百億円規模と概算した。単価として水深20mの場所に長さ1mで約2000万円。それが2kmで400億円という計算だ。
消えた沖合防潮堤
2008年7月31日、土木調査Gの高尾氏や酒井氏らはあらためて、津波想定の検討結果や、6月10日に出された宿題への回答を武藤氏に報告。ここで堀内氏の概算結果や工程表も示された。武藤氏は、「すぐには対策に着手せず、津波想定について土木学会で審議してもらうこと」を決めた。いわゆる「ちゃぶ台返し」だ。
この会合後、土木技術Gとしては、「あまりかかわることが無くなった」と堀内氏は証言した。「沖合の防潮堤に頼らない方向になったから」と説明した。
「数年の時間稼ぎなら問題ない」と武藤氏は考えた?
これまでの東電社員や専門家の証言をもとに、「ちゃぶ台返し」(2008年7月31日)時点での、武藤氏のアタマの中を想像してみよう。
「津波地震(15.7m)を想定しないとバックチェック審査は通らない」と土木調査Gで証言した全員が考えていた。また、規制当局との約束で、バックチェックは2009年6月までに終えなければいけない。それまでに対策も終わっていないと運転継続が難しくなる恐れがあった。
津波対策を検討する土木技術Gは、沖合防潮堤に最短4年、数百億円と見積もり(堀内氏の証言)。
津波地震の予測を公表せずに、その対策工事に着手することはできない(酒井氏の証言)。工事は大がかりで目立つからだ。
津波地震の津波(15.7m)が襲来すると全電源喪失する可能性が高い(溢水勉強会2006)。
工事着手のため、津波地震による津波想定(15.7m)を公表した状況を想定してみよう。すると、津波地震に無防備な状態で、運転したままそれへの対策工事をすること(最低4年かかる)に、地元から反対される可能性があった。
すなわち、工事に着手しようとすると、福島第一や、同様に津波が高くなる福島第二の停止を迫られるリスクがあった。当時、新潟県中越沖地震(2007)で柏崎刈羽原発が全機停止しており、さらに原発が減ると供給力に不安が出てくる。
「ちゃぶ台返し」時点では、東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。2009年度、3年連続の赤字は、避けるよう勝俣氏から厳命されている。数百億円の津波対策工事費、原発停止にともなう燃料費増は、受け入れられない。
さてこの窮地で、武藤氏はどう考えたのだろう。以下は推測だ。
現状では審査に通らない理由は、「審査する人が、津波地震抜きでは認めてくれそうにないから」(土木調査Gの社員による証言)。
武藤氏は思いついた。「それなら、審査する人たちを、うまく説得すればいい」。バックチェック審査を担当する数人の専門家を説き伏せるだけで、3年連続赤字が回避できるなら簡単だ。それで時間を稼ぎ、財務状況が良くなってから工事すればいい。工事はかなり困難だが、そのころには自分も担当役員から外れている。
もちろん、専門家に「見逃してくれ」と言っても通用しない。そこで、「当面は津波地震(15.7mになることは伝えない)が入っていない旧土木学会手法(2002)でバックチェックを進める。そのあと土木学会手法を改訂し、津波地震の取り入れを検討する。それにしたがって対策はする。いずれ津波対策は実施する」という理由を考えた。
そして、専門家の大学研究室に個別訪問し、密室で交渉していく。「技術指導料」という謝礼を払うこともあったと見られている(阿部勝征氏による)。
本当は「2009年9月までに最新の知見を取り入れてバックチェックをすること」を東電は原子力安全・保安院や原子力安全委員会と約束していた。しかし、その約束を、津波の専門家は知らない。「土木学会で審議し、いずれ対策を実施するならいいか」と東電の説得を受け入れた。土木学会の審議は2012年までかける予定だった。
「万が一の危険を避けるため、3年以内(2009年まで)に最新の知見を反映させるバックチェックの趣旨に反している」と反対する東電社員もおらず、「経営判断だ」と受け入れた。
武藤氏も津波の専門家たちも、最近400年間に3回しか起きていない津波地震が、東電が対策を先延ばしする数年の間に起きるとは考えていなかったのだ。いや、「考えたくなかった」という方が正しいかもしれない。