指定弁護士 冒頭陳述 全内容(東電福島原発事故刑事裁判初公判2017/06/30)

問われているもの

人間は、自然を支配できません。

私たちは、地震や津波が、いつ、どこで、どれくらいの大きさで起こるのかを、事前に正確に予知することは適いません。

だから、しかたなかったのか。

被告人らは、原子力発電所を設置・運転する事業者を統轄するものとして、その注意義務を尽くしたのか。

被告人らが、注意義務を尽くしていれば、今回の原子力事故は回避できたのではないか。

それが、この裁判で問われています。

福島第一原子力発電所の概要等

福島第一原子力発電所(以下「本件原子力発電所」)は、東京都千代日区内幸町に本店を置く東京電力株式会社が、福島県双葉郡大熊町と双莱町にまたがる約350万平方メートルの敷地(所在地表示は、福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地)に設置した発電用原子炉施設です。

本件原子力発電所に1号機から6号機の原子炉施設が設けられ、昭和46年から昭和54年までの間に、順次、運転が開始されました。

このうち、1号機から4号機は、大平洋側に面した敷地東側の小名浜港工事基準面(概ね海抜を意味する。)からの高さ10mの地盤(以下「10m盤」、「OP+10m」と表記)に、北方向から南方向に向かって1号2号3号機及び4号機の順にそれぞれの原子炉建屋、タービン建屋、コントロール建屋等が配置され、その東側の海側に斜面を下ったO.P. +4mの地盤(以下「4m盤」)に、各号機の非常用海水ポンプが設置されていました(各号機の配置状況等については、別図1のとおり)。

原子炉建屋には、沸騰水型原子炉を囲む圧力容器や格納容器等(原子炉の構造等については、別図2のとおり)が設置され、タービン建屋には、発電機用タービンのほか、非常時に電気を供給する非常用ディーゼル発電機、設備・機器に電気を供給する非常用高圧電源盤等が設置され、またコントロール建屋には、原子炉施設の監視・操作を行う当直の作業員が常駐する中央制御室等が設置されていました。

非常用電源設備等の設置状況

▽1号機の非常用ディーゼル発電機は、A系及びB系の2機が、いずれもタービン建屋地下1階に、非常用高圧電源盤等は、タービン建屋1階に、直流電源に必要な蓄電池や分電盤コントロール建屋地下1階に、それぞれ設置されていました。

▽2号機の非常用ディーゼル発電機は、A系がタービン建屋地下1階に、B系が運用補助共用施設1階に、非常用高圧電源盤等は、タービン建屋地下1階及び運用補助共用施設地下1階に、直流電源に必要な蓄電池や分電盤は、コントロール建屋地下1階に、それぞれ設置されていました。

▽3号機の非常用ディーゼル発電機は、A系及びB系の2機が、いずれもタービン建屋地下1階に、非常用高圧電源盤等は、タービン建屋地下1階に直流電源に必要な蓄電池や電源盤コントロール建屋1階及びタービン建屋地下1階に、それぞれ設置されていました。

福島第一原子力発電所における事故の経過

▽東北地方太平洋沖地震の発生とその直後の状況

平成23年3月11日14時46分、大平洋三陸沖を震源として、地震の規模を示すマグニチュード9.0の地震(以下「東北地方太平洋沖地震」あるいは「本件地震」)が発生しました。

当時、本件原子力発電所では、1号機から3号機の原子炉は運転中でしたが、4号機は定期点検のため、稼働していませんでした。

運転中の3機は、地震の発生直後、地震計が地震動を検知して、全て自動で緊急停止し、原子炉はその運転を停止しました。

1号機から3号機は、本件地震発生前まで、それぞれの発電機で発電した交流電気を受電していましたが、原子炉が停止したことにより、受電できなくなりました。

さらに、地震動により外部電源からの受電設備に異常が生じたため、外部電源を喪失してしまいました。

こうして、1号機から3号機が得ることができる交流電源自動で起動した非常用ディーゼル発電機による発電のみとなりました。

▽全交流電源の喪失等

3月11日15時27分頃、本件地震に伴う津波の第1波が、同日15時36分から15時37分頃には、その第2波が、それぞれ本件原子力発電所の敷地に到達しました。

このうち第2波は、4m盤を上回っただけでなく、10m盤をも超えて敷地を遡上し、本件原子力発電所の敷地における津波の高さは、結果的にO.P. +約11.5m~約15.5mに及びました(以下、本件地震に伴う津波の第2波を「本件津波」)。

このように本件津波は、大平洋に面した側から10m盤を超えて敷地を遡上し、タービン建屋等の東側開口部等から大量の海水が建屋内に浸入するなどして、1号機から3号機の非常用ディーゼル発電機、非常用高圧電源盤等を含む各種の電源盤等の大半が、順次、被水しました(本件津波による浸水状況の概要につき、別図3のとおり)。

その結果、

  1. 非常用ディーゼル発電機自体が被水したこと
  2. 電源盤が被水し、そのため非常用ディーゼル発電機が発電した交流電気を電源盤経由で設備・機器に供給できなくなったこと
  3. 非常用ディーゼル発電機の冷却用ポンプが被水し、作動不能になったこと

などにより、同日15時37分頃から15時40分頃の間1号機から3号機の非常用ディーゼル発電機は、いずれも停止するに至りました。

このうち3号機について4号機の非常用ディーゼル発電機から電源の融通を受けることは可能でしたが、4号機の非常用ディーゼル発電機2機について1機は点検中のために作動不能であった上に、もう1機は、運用補助共用施設1階に配置されており、海水が到達しなかったために被水は免れたものの、電源盤が被水したことにより停止したため、結局、3号機も電源の融通を受けることができず、1号機から3号機の全ての交流電源が喪失してしまいました。

また通常時は、交流の電気が直流電源設備により直流の電気に変換され、設備・機器に供給されていましたが、全交流電源を喪失したため、交流電気が直流電気設備に供給・変換されず、また1号機及び2号機でコントロール建屋の地下1階に設置されていた蓄電池及び分電盤が津波により被水したため、同日16時50分頃、一部の蓄電池や分電盤等を除き、直流電源も喪失してしまったのです。

▽事故の状況等

・1号機の事故1号機は、前述の通り、全交流電源及び直流電源を喪失するなどした結果、非常用復水器がー時期作動したものの、原子炉の冷却・注水設備がいずれも炉心を冷やす機能を喪失しました。

これに対応するため、消防車によって原子炉への注水が行われましたが、圧力容器内への十分な注水を行うことができなかったため、圧力容器内の水が核燃料の崩壊熱により徐々に蒸発して水位が低下し、水面上に核燃料部分が露出する結果となりました。

そして、その後も、核燃料部分の温度は上昇を続け、被覆管を形成しているジルコニウムと崩壊熱により蒸発した水蒸気が化学反応(以下「ジルコニウムー水反応」)を起こしたこと等により、水素ガスが発生し、圧力容器や格納容器あるいはその周辺部から水素ガスが漏れ出し、これが原子炉建屋内に蓄積し、何らかの理由で着火したことにより、3月12日15時36分、原子炉建屋で水素ガス爆発が起きました。

こうして、原子炉建屋から大気中に大量の放射性物質が放出されたのです。

・2号機の事故

2号機は、全交流電源及び直流電源を喪失するなどした結果、3月14日までは、原子炉隔離時冷却系は作動を続けましたが、それ以外の原子炉の冷却・注水設備がいずれも炉心を冷やす機能を喪失するに至りました。

そして、原子炉隔離時冷却系が注水機能を喪失した3月14日以降は、消防車による原子炉への注水は行われましたが、全ての冷却・注水設備が炉心を冷やす機能を喪失したため、1号機と同じ経過で、ジルコニウムー水反応等により発生した水素ガスが原子炉建屋内に漏れ出しました。

しかし1号機の原子炉建屋における水素ガス爆発により、2号機の原子炉建屋に設置されていたブローアウトパネル(破裂板式安全装置)が開放状態になったことなどによって、原子炉建屋内に漏えいした水索ガスが建屋外に流出したため、原子炉建屋内で水素ガス爆発が発生することはありませんでした。

ところが、水面上に露出した核燃料部分の温度が上昇したことにより、被覆管が破損し、露出したペレットから放射性物質が漏えいし、更に圧力容器や格納容器あるいはその周辺部からも漏えいしたことにより、3月14日以1号機や3号機とともに、原子炉建屋から大気中に大量の放射性物質が放出されたのです。

・3号機及び4号機の事故

3号機は、直流電源を喪失することはありませんでしたが、全交流電源を喪失するなどした結果、3月13日までは、原子炉隔離時冷却系及び高圧注水系は機能したものの、 この他の原子炉の冷却・注水設備が炉心を冷やす機能を喪失しました。

そして3月13日、原子炉隔離時冷却系及び高圧注水系が注水機能を喪失した以降は、消防草等による原子炉への注水が行われましたが、全ての冷却・注水設備が炉心を冷やす機能を喪失するなどしたため、1号機と同じ経過で、ジルコニウムー水反応等により発生した水素ガスが原子炉建屋内に蓄積し何らかの理由で着火3月14日11時01分、原子炉建屋で水素ガス爆発が起きました。

また、水素ガスが3号機の原子炉建屋内から4号機の原子炉建屋内に流れ込んで蓄積し何らかの理由で着火3月15日6時12分、4号機の原子炉建屋で水素ガス爆発が起きました。

こうし3月16日までに3号機の原子炉建屋からも大気中に大量の放射性物質が放出されたのです。

▽被害の状況

・本件原子力発電所から南西約4.5キロメートルに医療法人博文会双葉病院(福島県双葉郡大熊町大手熊字新町176番地の1所在、以下「双葉病院」)が)南西4キロメートルに医療法人博文会介護老人保健施設ドーヴィル双葉(同県双葉郡大熊町大字熊字新町369番地の1所在、以下「ドーヴィル双葉」)が、位置しています。

・本件事故当時、双葉病院には340名が入院しており(うち2名は外泊中)、多くは寝たきりの忠者でした。ドーブィル双業には98名が入所していました。

・平成23年3月11日16時45分頃、東京電力は、原子力災害対策特別措置法第15条第1項に定める原子力緊急事態が発生したことを示す事象、すなわち、原子炉へのすべての給水機能が喪失し、すべての非常用炉心冷却装置による原子炉への注水ができなくなった事態(同法施行規則第21条第1号口)が発生したと判断この旨を経済産業省原子力安全・保安院(以下「原子力安全・保安院」)に通報しました。

これらの事態を受けて内閣総理大臣は、同日19時03分、「原子力緊急事態宣言」を発出(同法第15条2項)し、官邸に原子力災害対策本部を設置(同法第16条)しました。

同日20時50分、福島県知事は、大熊町と双葉町に対し、本件原子力発電所から半径2キロメートル圏内の居住者等に対して、避難指示を行いました。

同日21時を過ぎると、事態は、炉心損傷を避けるため、ベントを行う必要があると判断されるに至り、ベントを行った場合には、放射性物質がさらに広域に亘って拡散する恐れがあるため、政府は、同日21時23分、原子力災害対策本部長を通じて、福島県知事及び大熊町町長・双葉町町長ら関係自治体に対し、本件原子力発電所から半径3キロメートル圏内の居住者等は、避難のための立退きを行うことなどの指示を行いました(同法第20条第3項)。

・さらに、政府は、3月12日未明、ベントの実施作業が遅れた場合の不測の深刻な事態に対処するためには、なお一層避難範囲を拡大する必要があると判断し、同日5時44分、本件原子力発電所から半径10キロメートル圏内の居住者等は、避難のための立退きを行うこと、との指示を行いました。これを受けて、同日14時頃、双葉病院に入院中の患者ら209名がバスに乗せられ避難しましたが、その余の患者129名とドーヴィル双葉の入所者98名は、取り残されたままでした。

・同日15時36分、1号機原子炉建屋で水素ガス爆発が起き、これにより、原子炉建屋の外部壁等が破壊し、起訴状被害者目録1記載の3名が、飛び散ったがれきに接触するなどして、同目録「傷害の内容」欄記載の各傷害を負いました。

この1号機水索ガス爆発を受け、政府は同日18時25分、本件原子力発電所から半径20キロメートル圏内の居住者等は、避難のための立退きを行うことの指示を行いました。

・3月14日11時01分、3号機原子炉建屋で水素ガス爆発が起き、これにより、同原子炉建屋の外部壁等が破壊し、起訴状被害者目録2記載の10名が、飛び散ったがれきに接触するなどして、同目録「傷害の内容」欄記載の各傷害を負いました。

この3号機水索ガス爆発と3月15日6時12分に発生した4号機水素ガス爆発等を受け、政府は同日11時、本件原子力発電所から半径20キロメートル圏内の居住者等の避難指示に加えて、半径20キロメートル以上30キロメートル国内の居住者等は、屋内への退避を行うことの指示を行いました。

・こうした中3月11日から14日までの間、双葉病院とドーヴィル双業に残された患者や入所者については、病院に残った病院長、医師、職員、駆けつけた医師らにより、点滴の変換や調節、注射器を使った痰の吸引、おむつ替え、食事や水分補給等のケアが不眠不休でなされていました。

・3月14日、4時頃、陸上自衛隊第12旅団輸送支援隊ドーヴィル双葉と双葉病院に到着し、残された患者や入所者を避難先へ搬送する作業が開始されました。双葉病院においては、当初、患者全員にタイベックススーツを着せるようにとの指示が警察官からなされましたが、寝たきりの患者にそのようなことはできないとの判断により、医師が点滴を外して、警察官がストレッチャーで患者を外に運自衛官が患者をバスに乗せるということが繰り返され、患者を乗せた車両が、順次、出発していきました。

ドーヴィル双葉の入所者98名全員と双葉病院の患者30数名はバスに乗せられ避難先へ出発しましたが、双葉病院の患者についてはバスに全員乗せることができず、約90名ほどの患者がまだ双葉病院に取り残されていました。

患者らを乗せたバスは、スクリーニング場所である相双保健所(福島県南相馬市原町区錦町1丁目30番地所在)に向かい、患者らはバスの中でスクリーニングを受けた後、相双保健所を出発し、いったん福島市に出て、高速道路を走り、いわきに向かうという経路で、同日20時頃、避難先であるいわき光洋高等学校(福島県いわき市中央台高久4丁目1番地所在)に到着し、医療法人博文会いわき開成病院(福島県いわき市鹿島町飯田字人合5番地所在)に向かったものの、同病院は既に避難してきた患者でいっぱいで収容の限界を超えていたことから、再びいわき光洋高等学校に向かい、同高等学校に到着したのは、同日21時を過ぎていました。このときすでに、起訴状被害者目録3の番号1、2、13の3名が、バスの中で死亡していることを、駆けつけた医師と看護師らが確認しました。医師と看護師らがバスに乗り込んで患者らの状態を確認し、患者らを同高等学校体育館に運び入れる搬送作業が開始されましたが、バスから体育館への搬送過程で、さらに同被害者目録3の番号14、15、16の3名の死亡が確認されました。

・この間、前記の2度にわたる水索ガス爆発により、双葉病院とドーヴィル双葉に残って患者や入所者のケアをしていた医師と職員らは、3月14日夜、警察車両に乗せられ、緊急避難を余儀なくさせられました。

・3月15日9時頃、自衛隊統合任務部隊搬送部隊が双葉病院に到着し、残されていた患者のうち47名を車両に乗せて出発しました。同日11時30分頃、陸上自衛隊第12旅団衛生隊が双葉病院に到着し、残されていた患者のうち7名を車両に乗せて出発しました。双方の車両は、スクリーニング場所である田村市総合体育館(福島県田村市船引町船引字遠表400番地所在)で合流した後、同所ではスクリーニングを受けられなかったことから、福島県男女共生センター(福島県二本松市郭内1丁目196番地の1所在)に向かい、同日15時30分頃同所に到着し、患者はバスの中でスクリーニングを受けた後、自衛隊車両から県が用意したバスに移し替えられて、最終的3月16日1時頃、避難先である伊達ふれあいセンター(福島県伊達市箱崎字川端7番地所在)に到着し、同所に運び入れられました。

・双葉病院の別棟(療養棟)に残されていた患者35名は、3月16日未明、陸上自衛隊第12旅団混成部隊(輸送支援隊・衛生隊)が双葉病院に到着し、避難先への搬送作業が開始され、同日6時頃スクリーニング場所である福島県男女共生センターに到着し、患者はバスの中でスクリーニングを受け、同日12時頃、県立霞ヶ城公園(福島県二本松市郭内3丁目232番地所在)駐車場にて、自衛隊車両から県が用意したバスに移し替えられました。同日14時30分頃、同駐車場にて、駆けつけた医師と看護師らがバスに乗車している患者を診祭しましたが、バスの中で、起訴状被害者目録3の番号23、24の2名が死亡していることが確認されました。この5名の患者は医師の指示により病院に緊急搬送されました。その余の患者28名は、同日、避難先であるあづま総合運動公園(福島市佐原字神事場1番地所在)の施設内に、運び入れられました。

・このように、本件事故により半径10キロメートル国内の居住者等の避難指示が出されたこと2度にわたる水素ガス爆発等により、被害者らは、長時間にわたる搬送・待機等を伴う避難を余儀なくされた結果、身体に過度の負担がかかり、低体温、脱水症等の衰弱状態等に陥り、被害者のうち8名は移動中のバスの中で次々と死亡し、また、避難先や病院に搬送された患者らも、全身衰弱状態が著しく、搬送先で、次々と死亡するに至ったのです。バスの中の状況は悲惨で、椅子に座ったままの状態で死亡している者や、補助席に頭を乗せて死亡している者もいました。

各被害者の死亡日時、死亡場所、死因等は、起訴状被害者目録3に各記載のとおりですが、避難を余儀なくされた3月14日から16日にかけて、その避難の過程ないし搬送先で、実に28名もの被害者が死亡し、その後も各被害者が、搬送先で、次々と死亡するに至っているのです。

また、起訴状被害者目録4に記載の被害者は、本件事故により医師らが双葉病院から、緊急避難を余儀なくさせられた結果、治療・看護を受けることができず、同記載の日時、場所で、死亡するに至りました。

本件事故がなければ、44名もの尊い命が奪われることはなかったのです。

本件事故の原因

本件津波により、本件原子力発電所の1号機から3号機の原子炉の炉心が損傷し、大量の放射性物質を大気中に放出させるとともに、1号機、3号機の原子炉建屋において水素ガス爆発が、また、4号機の原子炉建屋では、3号機からの水素ガスの流入によると考えられる原因により水素ガス爆発が起きました(以下、これら一連の事象を「本件事故」)。

このように本件事故は、本件原子力発電所の1号機から3号機において、本件地震により外部電源が喪失した後、本件津波が、大平洋側に面した敷地から、原子炉建屋やタービン建屋等が配置された10m盤を超えて業来し、タービン建屋等の東側開口部等から大量の海水が建屋内に浸入し、同建屋内等に設置されていた非常丹ディーゼル発電機、電源盤、蓄電池等の電源設備が被水した結1号機から3号機の非常用交流電1号機及び2号機の直流電源(以下「交流電源等」)を喪失したことにより発生したものです。

事業者の注意義務

本件原子力発電所は、東京電力が設置し、稼動させていました。本件原子力発電所のような発電用原子炉設備を設置する事業者は、当該施設の安全を確保するために必要な措置を講じるべき法律上の義務を負っています。

すなわち、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(原子炉規制法)は、原子炉施設の保全、原子炉の運転について、「保安のために必要な措置を講じなければならない」(第35条第1項)と定め、さらに、「電気事業法」は、「事業用電気工作物を設置する者は、事業用電気工作物を経済産業省令で定める技術基準に適合するように維持しなければならない」39条第1項)

と定め、これを受けて「発電用原子力設備に関する技術基準を定める省令」(経済産業省令)は、

「原子炉施設並びに一次冷却材又は二次冷却材により駆動される蒸気タービン及びその附属設備が想定される自然現象(地すべり、断層、なだれ、洪水、津波、高潮、基礎地盤の不同沈下等をいう。ただし、地震を除く。)により原子炉の安全性を損なうおそれがある場合は、防護措置、基礎地盤の改良その他の適切な措置を講じなければならない」(第4条第1項)

と規定しています。

このように、東京電力は、発電用原子力設備を設置する事業者として、津波等により、本件原子力発電所の原子炉の安全性を損なうおそれがある場合には、防護措置その他の適切な措置を講じるなどして、本件原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負っていたのです。

被告人らの立場とその責任

▽被告人らは、東京電力の最高経営層として、本件原子力発電所の安全を確保すべき最終的な義務と責任を負う地位にありました。

▽被告人勝俣恒久は、平成14年10月から代表取締役社長、平成20年6月からは代表取締役会長の職にあり、本件原子力発電所の運転・安全保全業務に従事し、その一環として、本件原子力発電所を所管する原子力・立地本部等を通じて、その構造、設備等の技術基準適合性にかかる情報を常に把握し、安全性に関わる重要な事項が判明した場合には、防護措置その他の適切な措置を行うべきか否かの判断を行うなどの会議等を主宰して、その席上で適切な指示を行うなど、同社の最高経営層に属する者として、最終的に原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負う地位にありました。被告人勝俣は、平成20年6月、代表取締役会長に就任して以降は、職務規定上「最高経営層」には属しておらず、東京電力の業務執行には抑制的であったから、上記責任を負わないと主張されるようです。しかし、同人は、会長職に就いた後も、社内の意思決定にかかわる重要な会議等に出席し、実質的に上記判断や指示を実際に行っていました。したがって、その義務と責任はとうてい免れうるものではありません。

▽被告人武黒一郎は、平成17年6月から常務取締役原子力・立地本部本部長、平成19年6月から取締役副社長原子力・立地本部本部長、平成22年6月からはフェローの職にあり、被告人武藤栄は、平成17年6月から執行役員原子力・立地本部副本部長、平成20年6月から常務取締役原子力・立地本部副本部長、平成22年6月からは取締役副社長原子力・立地本部本部長の職にありました。

原子力・立地本部は、東京電力の原子力発電所を統轄する部署で、本部長は、最高経営層の専門スタッフとして、高度かつ専門的な情報、知見をもつて、原子力発電所における原子力安全を最優先に、その設備の管理等を行うとともに、最高経営層による東京電力の方針の策定等について補佐するという基本的役割を担っていました。

被告人武黒は、平成22年6月、取締役副社長原子力・立地本部本部長を退任しフェローに就任して以降は、東京電力の業務執行には関与しておらず、また、会長を補佐する立場にはなかったと主張されるようです。しかし、同人は、フェローになった後も、社内の意思決定にかかわる重要な会議等に出席し、実質的に会長が行う上記判断などを補佐するなどの職務を実際に行っていました。

こうして、被告人武黒、同武藤はいずれも、被告人勝俣を補佐して、上記被告人勝俣と同様に本件原子力発電所の運転・安全保全業務に従事し、本件原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負う地位にありました。

また被告人ら3名は、いずれも取締役に就任中は、「常務会」、「取締役会」の構成員として、東京電力の業務執行に関して、最終意思決定に関与していました。

▽さらに被告人勝俣は、平成17年4月から平成20年6月までの問、電気事業連合会(以下「電事連」)の会長に、被告人武黒は、平成16年7月から平成20年6月までの間、電事連原子力開発対策委員会総合部会部会長に、平成21年7月から平成22年5月までの間は電事連原子力開発対策委員会委員長に、被告人武藤は、平成20年8月から平成22年6月までの間、電事連原子力開発対策委員会総合部会部会長に、平成22年7月から平成23年5月までの間は電事連原子力開発対策委員会委員長に就任していました。電事連日本における電気事業の健全な発展や運営の円滑化を図るために設立された全国10電力会社で組織された連合会です。

電事連に設置された原子力開発対策委員会では、原子力に関する様々な問題につき、検討が行われ、資料等の収集を行っており、原子力に関する情報収集とその情報の各社への共有が重要な業務のひとつとなっています。そして、原子力安全・保安院と各電力会社の窓口としての役割をも担っていました。地震・津波に関する事項については、主に同委員会総合部会が所管していました。このような電事連の役職に就任していた被告人らは、当然のことながら電事連が収集した原子力発電所の安全性に関する諸情報を認識し、また認識しうる立場にありました。

本件の争点

10m盤を超える津波の襲来から、本件原子力発電所を守る対策としては、

10m盤上に想定水位を超える防潮堤を設置するなど、津波が敷地へ遡上するのを未然に防止する対策、

建屋の開田部に防潮壁、水密扉、防潮板を設置するなど、防潮堤を越えて津波の遡上があったとしても、建屋内への浸入を防止する対策、

音F屋の開田部に水密扉を設置する、配管等の貫通部に止水処理を行うなど建屋内に津波が浸入しても、重要機器が設置されている部屋への浸入を防ぐ対策、

原子炉への注水や冷却のための代替機器を津波による浸水のおそれがない高台に準備する対策、

があり、これらの全ての措置をあらかじめ講じておけば、本件事故の結果は未然に回避することができました(津波対策の概要につき、別図4のとおり)。東京電力は、本件事故後、事故調査報告書において、これらのことを明らかにしています。

そして、津波はいつ来るか分からないのですから、津波の襲来を予見したなら、これらの安全対策が完了するまでは、本件原子力発電所の運転を停止すべきだったのです。

被告人らが、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来する可能性があることを予見し、あるいは予見しうる状況があったのであれば、被告人らにこのような安全対策をとるべき義務があったことは明らかです。

ところが、被告人らはいずれも、本件事故が起こるまで本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することは予見できなかったと主張しています。

したがって、この裁判では、被告人らがそれぞれ、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することを予見できたか否かが主要な争点となります。

そこで、指定弁護士は、次に述べる諸事実を証拠により立証し、それらの事実を積み重ねることにより、遅くとも平成23年3月初旬には、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することを予見できたということを明らかにします。

国による津波防災対策

平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。

この大震災等を契機に、農林水産省構造改善局、同省水産庁、運輸省港湾局、建設省河川局の4省庁(省庁名はいずれも当時、以下同じ)は、平成9年、「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」を作成しました。

さらに、平成10年3月には、国土庁、農林水産省構造改善局、同省水産庁、運輸省、気象庁、建設省、消防庁の7省庁策定にかかる「地域防災計画における津波対策強化の手引き」及び「津波災害予測マニュアル」が公表されました。

この中で、「津波を伴う既往最大地震を把握し、対象津波を設定するとともに、沿岸地域の危険性を把握する。また、その後の地震研究の成果や最新の地震観測」結果等を踏まえることにより、地震空白域の存在や地震の周期性などの地震の動向について把握しておくことが重要である。」と指摘されていました。

文部科学省地震調査研究推進本部による長期評価の公表

▽長期評価の公表

平成14年7月31日、文部科学省地震調査研究推進本部(以下「地震本部」)

地震調査委員会は、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」)を公表しました。

この中で、地震本部は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも津波マグニチュード8.2前後の津波地震が発生する可能性があると指摘しました(別図5参照)。

三陸沖から房総沖にかけては、1611年に慶長三陸地震、1677年に延宝房総沖地震、1896年に明治三陸地震が発生しており、これらの地震により、津波被害があったとされています。

▽地震本部の性格と構成

・地震本部は、平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災を契機として、全国にわたる総合的な地震防災対策を推進するために制定された地震防災対策特別措置法に基づき、当時の総理府に設置された機関です。平成13年1月の中央省庁再編に伴い、総理府から文部科学省に移管され、現在に至っています。

地震本部は、従前、地震に関する調査研究の成果が、国民や防災を担当する機関に十分に活用される体制が整備されていなかったとの反省の下に、これらの成果が地震防災対策に活用されるため、政府として一元的に、地震の予測を含む調査研究を推進する機関として設置されました。

こうして、地震本部は、地震予測に関し、評価として公表する国の唯一の機関となりました。

その一環として、長期評価が公表されたのです。

・地震本部には、文部科学大臣を本部長とし、文部科学省等関係省庁の事務次官等から構成される本部のもとに、地震に関する調査結果等を収集分析し、総合評価を行う「地震調査委員会」等ふたつの委員会が設置されています。

「地震調査委員会」のもとには、長期的な観点から地震の予測を行う「長期評価部会」や、長期評価結果に基づいて各地の震度等の予測を行う「強震動部会」などが設置されています。

また、「長期評価部会」のもとには、分科会が設置され、その分科会は地房の様式で分かれており、プレート間地震やプレート内地震などの予測を行う「海溝型分科会」や活断層地震の予測を行う「活断層分科会」などがあります。

地震調査委員会の委員は、地震や地質の専門家で構成され、地震調査委員会の委員の一人は長期評価部会の「部会長」も兼ねています。

長期評価部会の委員は、部会長以下約10名の地震や地質を専門とする大学教授などの専門家で構成されており、長期評価部会の委員の一人が分科会の「主査」となり、各分科会も約10名の地震や地質などを専門とする大学教授などにより構成されています。

・長期評価が公表された頃の「長期評価部会」の委員は、地震の専門家である A 東京大学地震研究所教授を部会長とし、地質の専門家である B 産業技術総合研究所活断層研究センター副センター長、地震の専門家である C 東京大学地震研究所教授や D 財団法人地震予知総合研究振興会地震調査研究センター所長など、地震の権威ある研究者や関係機関の代表等から構成されていました。

「海溝型分科会」の委員は A 教授を主査とし、津波地震の専門家である E 東京大学地震研究所教授や F 同研究所助教授、 G 産業技術総合研究所活断層研究センター地震被害予測研究チーム長など、いずれも地震や津波の分野における第一人者である研究者や関係省庁所属の専門家等から構成されていました。

社団法人土木学会による「重み付けアンケート」

▽社団法人土木学会に対する研究委託

原子力発電所における津波対策を講じる前提となる設計上の想定津波水位は、従前より、一般に文献調査等により確認される既往最大津波による最高潮位を基準に設定するものとされていました。

しかし、平成9年から平成10年にかけて政府の防災関係省庁間で取りまとめられた「地域防災計画における津波対策強化の手引き」では、防災計画上、考慮すべき対象津波として、既往最大津波だけでなく、「現在の知見に基づいて想定される最大地震により引き起こされる津波」をも取り上げるとする考え方が採用されていました。

これを受けて、東京電力をはじめとする電力事業者(以下「東京電力等」)は、平成11年、想定津波に基づく設計上の想定津波水位の設定等に関する基準を策定するため、社国法人土木学会(以下「土木学会」)に対し、原子力発電所における津波評価を如何に行うかについての研究委託を行いました。

土木学会は、土木工学の進歩、土木事業の発達、土木技術者の資質向上等を図るために、研究や調査等を実施することを目的とした社団法人(平成23年4月1日、公益社団法人に移行)です。

東京電力等から研究委託を受けた土木学会では、原子力施設に係る土木技術に関する課題の調査研究を行う原子力土木委員会に、津波評価部会を設置し、委託を受けた事項につき調査研究を行うこととなりました。これらの調査研究に要する委託料は、東京電力等から支払われ、津波評価部会には、委託元である東京電力等の社員も委員として、審議に関与していました。

▽第1期津波評価部会による津波評価技術の策定

第1期津波評価部会は、平成11年10月から平成13年3月までの間委託を受けた事項の調査研究を行い、その結果として、平成14年2月、「原子力発電所の津波評価技術」(以下「津波評価技術」)を策定の上、公表しました。

この津波評価技術は、原子力発電所の安全性を確保するため、各発電所においてどの程度の津波の高さを想定すべきかという設計上の想定津波水位を導き出すために策定されたものでした。津波評価技術では、原子力発電所の特性を踏まえて津波評価を安全側に設定するため、調査等により確認される既往津波を選定し、地震発生を想定する領域内に当該既往津波の痕跡高を最もよく説明できる波源モデルを設定した上で、パラメータスタディ、すなわちその波源モデルの位置、深さ、向き、傾斜角等のパラメータを変異させて計算を実施し、それによって得られた最大の数値に潮位条件を考慮した上で、設計上の想定津波水位を算出することとされていました。この手法により算定される想定津波水位は、平均して既往最大津波による津波水位の約2倍になることが確認されました。

▽第2期津波評価部会における確率論的リスク評価手法の検討 -「重み付けアンケート」の結果-

「津波評価技術」は、一定の想定水位を定め、その想定水位までの安全性を絶対的に確保することによって安全を確保するという考え方に基づくものでした。このような考え方は、一般に「確定論」又は「決定論」と言われるものです。

一方、工学分野では、様々なリスクを評価する確率論的手法が進展してきていました。

津波についても確率論に立脚した手法の研究を進める必要があるとして、東京電力等は、土木学会に対して確率論的津波ハザード解析を委託し、これを受けた土木学会第2期津波評価部会では、平成15年6月から平成17年9月にかけこの検討を行いました。

このような確率論的津波ハザード解析は、地震の位置、規模、発生頻度、発生様式等を確率分布として表現することにより、津波水位の超過頻度を求めるもので、津波の高さごとのリスクを定量的に把握するための確率論的手法に基づく解析でした。確率論的なリスク評価においては、見解の分かれている知見等についてもそれを採るか採らなかの二者択一ではなく、異なる見解を相応に反映することが可能となるとされています。

このようなことから、第2期津波評価部会では、確率論的津波ハザード解析を行うに当たり、各領域における地震発生の様式、規模、発生間隔等の地震学に関わる事項や計算の誤差の考え方等についての様々な事項に関する「重み付けアンケート」を実施しました。当然のことながら、地震本部によって公表された長期評価も、新しい知見として、これに関連したアンケートが実施されました。平成16年に実施されたこの「重み付けアンケート」では、長期の地震活動について、

  1. 過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でないという見解
  2. 三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解

の2つの選択肢で、地震学者等から回答を求める形で実施されました。

その結果、地震学者等専門家の回答は、1.に多くの重みを付けた学者が3名、2.に多くの重みを付けた学者が4名、両者に全く同じ重みを付けた学者が2名で、その重みの平均値は、1.が0.46であったのに対して、2.が0.54と、地震本部の見解が上回っていました。

内部溢水・外部溢水勉強会の開催と報告

原子力安全・保安院と独立行政法人原子力安全基盤機構は、平成16年12月にスマトラ島沖地震で発生した津波によって、マドラス原子力発電所2号機の非常用海水ポンプが浸水したことなどを契機に、平成18年1月以降、電事連や各電力事業者に参加を求めて、設計上の想定津波水位を超える津波が襲来した場合の原子力発電所の設備・機器等に与える影響等を把握すること等を目的とした「内部溢水・外部溢水勉強会」(以下「溢水勉強会」)を継続的に開催するようになりました。

この勉強会では、平成11年にフランス・ルブレイエ原子力発電所で発生した大規模浸水事象なども、参照事例として取り上げられました。

東京電力からは、当時、原子力設備管理部の機器部門の担当者であった H 、同土木部門の担当者であった I  (当時、土本部門の課長は J )らが、これに参加して対応していました。

勉強会では、想定を超える津波に対する安全裕度等について、代表プラントを選定して、津波ハザードの評価や津波リスクの明確化を行うことなどの研究が継続的に行われました。

そして、平成18年5月11日に開催された第3回溢水勉強会では、本件原子力発電所5号機に敷地高を1メートル超える高さ(O.P. +14m)の津波が無制限に襲来した場合には、非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されました。

同年6月9日には、原子力安全・保安院及び原子力安全基盤機構の担当者により、本件原子力発電所の現地視祭が行われました。

この視祭に際して、原子力安全・保安 K 班長から5号機の非常用海水ポンプについて、余裕が無さ過ぎるとの指摘がなされました。

同年8月31日に開催された第7回溢水勉強会では、 K 班長から8月2日の安全情報検討会の結果について報告がありました。

「安全情報検討会」というのは、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構とが連携して、原子力施設に関する国内外の安全情報を収集するとともに、これらの情報を分析し、必要な安全規制上の対応を行う検討会です。

その検討会において、原子力安全・保安院の担当者から「耐震バックチェックでは土木学会手法でOKであつたとしても、残余リスクが高いと思われるサイトでは個々の対応を考えた方がよい」というコメントがあったことが紹介されました。

溢水勉強会の内容は出席した担当者によって、逐一議事メモが作成され、資料と併せてファイルされました。

また、その結果は、上層部にも報告されていました。

溢水勉強会の状況は、電事連の総合部会においても取り上げられていました。同年9月28日に開催された第385回原子力開発対策委員会総合部会では部会長として被告人武黒が出席している中、溢水勉強会への対応状況が報告され、今後の対応などが検討されました。

原子力安全・保安院による「耐震バックチェック」の指示と東京電力の津波対策

▽耐震バックチェックの指示

平成18年9月19日、原子力安全委員会は、原子力発電所の耐震基準に関する「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」を改訂しました(以下「新指針」)。

この新指針では、「地震随伴事象について」、発電用原子炉施設は、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」を「十分考慮したうえで設計されなければならない」と指摘されました。

さらに9月20日、原子力安全・保安院は、各電力事業者に対し、既設の原子力発電所について新指針に照らした耐震安全性の評価を実施して報告を求めるいわゆる「耐震バックチェック」を指示しました。

その指示に際して、「新耐震指針に照らした既設発電用原子炉施設等の耐震安全性の評価及び確認に当たっての基本的な考え方並びに評価手法及び確認基準について」と題する「耐震バックチェックルール」が示されました。

この「耐震バックチェックルール」には、「津波の評価に当たっては、既往の津波の発生状況、活断層の分布状況、最新の知見等を考慮して、施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性がある津波を想定し、数値シミュレーションにより評価することを基本とする」と明記されていました。

▽新潟県中越沖地震の発生

「耐震バックチェック」が進行中のさなかの平成19年7月16日、新潟県中越沖地震が発生しました。この地震により、東京電力柏崎刈羽原子力発電所(以下「柏崎刈羽原子力発電所」)の使用済核燃料プールから放射性物質を含む水があふれ出し、地下の排水タンクに流れ込むなどの事故が発生し、同発電所の原子炉がすべて停止するに至りました。

7月20日、経済産業大臣は、電気事業各社に対して、「平成19年新潟県中越沖地震を踏まえた対応について」指示しました。

▽東京電力の新潟県中越沖地震対応 -「中越沖地震対応打合せ」の開催-

・「新潟県中越沖地震対策センター」の設置

東京電力では、新潟県中越沖地震による事故を契機に、原子力・立地本部原子力設備管理部内に「新潟県中越沖地震対策センター」(以下「地震対策センター」)を設置し、同センターを中心に、相崎刈羽原子力発電所への対応だけでなく、本件原子力発電所の「耐震バックチェック」に関する業務を担うことになりました。

「耐震バックチェック」には、地震随伴事象である津波の安全性評価が含まれているため、福島第一、第二原子力発電所の津波の安全性評価を行い、津波対策を具体的に検討するのも「地震対策センター」の重要な業務のひとつでした。

地震対策センターは、 L 原子力設備管理部長の管轄下にあり、 M がセンター長となり、その下に津波評価を担当する土木調査グループ(平成20年7月1日までは「土木グループ」)と、津波対策を担当する土木技術グループ、機器耐震技術グループ、建築グループが設けられていました。

土木調査グループは、 J グループマネージャ、 N 課長、 O 主任らで構成されていました。

これを統轄する当初の原子力・立地本部本部長が被告人武黒、副本部長が被告人武藤で、平成22年6月、被告人武藤が、本部長に就任しました。

・「中越沖地震対応打合せ」の開催と被告人らの関与

このように被告人武黒、同武藤が就任していた原子力・立地本部本部長は、津波の安全性評価を含む「耐震バックチェック」業務を統轄する立場にありました。

新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原子力発電所の上記事故は、東京電力の経営に重大な影響を及ぼすものでした。これに対処するため、「中越沖地震対応打合せ」と称する会議が開催されるようになりました。

この会議は、「地震対応全体会議」、「中越沖地震対応会議」と呼ばれることもありましたが、被告人勝俣が出席していることから、社員の間では「御前会議」と呼ばれていました。

この会議は、原子力・立地本部のスタッフのみならず、被告人ら最高経営層が直接出席して、耐震安全性についての情報を共有し、上記事故後の対応等を具体的に協議する目的で、柏崎刈羽原子力発電所の上記事故を契機に、継続的に、特別に開催されるようになったものです。

東京電力においては、業務執行に関する意思決定は、最高経営層が出席する「常務会」や「取締役会」で行われていましたが、このような会議では、会議の席上で初めて出席者に議案が知らされて議論が行われるのが通常で、議論の内容につき、事前の打合せが行われることはありませんでした。また、これらの会議には、社内の各部門から様々な条件が諮られますので、ひとつの案件に害1ける時間が限られ、継続的にひとつの案件について時間をかけて議論をすることも困難でした。

柏崎刈羽原子力発電所や本件原子力発電所の耐震安全性や津波安全性を確保するという条件は、東京電力の経営にとっても、極めて重要な事項でした。

したがって、この案件を所管する原子力・立地本部の担当者に全てを委ねるのではなく、被告人ら最高経営層が一堂に会して、細部に至るまで継続的に、かつ具体的な協議を行うことが効率的であり、その必要性もあったのです。

このような理由で、「中越沖地震対応打合せ」が特別に開催されるようになりました。

「中越沖地震対応打合せ」には、

会長、社長及び副社長などの最高経営層

原子力・立地本部本部長、副本部長及び部長以下の幹部

柏崎刈羽原子力発電所及び福島第一、第二原子力発電所の各所長

らが出席し、柏崎刈羽原子力発電所の復旧・再稼働のための耐震安全性の確保等に関する検討とともに、福島第一、第二原子力発電所について、耐震安全性評価を行い、必要な対策を講じること等の具体的な検討が行われました。

「地震対策センター」の担当者は、福島第一、第二原子力発電所についても、津波の安全性評価及びその対策に関する具体的調査・検討を行い、適宜その状況を「中越沖地震対応打合せの席上、被告人ら出席者に報告していました。

「中越沖地震対応打合せ」は、被告人ら3名を含む最高経営層が参加する会議でしたから、単に情報を共有するだけでなく、席上、具体的な対応策が協議され、その結果の多くが「常務会」、「取締役会」に採用されて、最終的な意思決定がなされていました。この会議は、本件原子力発電所の運転、保安に関して、重要な役割を果たしていました。

このように、被告人らは、取締役会等の構成員としてのみならず、「中越沖地震対応打合せ」に出席して、本件原子力発電所の運転・安全保全業務に具体的に関与していたのです。

▽東京電力における「長期評価」の検討

平成19年11月ころから、地震対策センターは、長期評価の取扱に関して検討をはじめました。

N と O は、本件原子力発電所の耐震バックチェックにおける津波評価に際して、長期評価に基づいた想定津波水位を算出し、原子力安全・保安院に報告すべきかどうかについて検討し、東電設計の担当者である P と、津波評価に関する業務委託を行うにあたっての打合せを行いました。

11月21日、東電設計のP は、長期評価の見解に基づいて、房総沖地震の津波の波源モデルを用いて概略的な想定津波水位を算出した結果を東京電力側に報告しました。

その結果は、O.P. +7.7mであり、平成14年に行った津波評価による想定津波水位O.P. +5.7mを上回っていました。

そして長期評価に基づいてさらに詳細な検討をすれば、想定津波水位がさらに上回ることが予想されました。

N や O は、長期評価が地震本部という政府が地震に関する調査研究を実施するために設置した権威ある機関の見解であること、土木学会津波評価部会が行った重み付けアンケートにおいても、「どこでも発生する」という長期評価の見解を支持する考え方が多かったこと、東京電力の東通原子力発電所の設置許可申請においても、地震本部の見解を取り入れていることなどについて、共通の認識を持っていました。

そこで、津波評価に当たっては、長期評価の見解を取り上げるべきだという考えを」に伝え、 J もこれを承認しました。

こうして、平成20年1月11日、 L らの承認を得た上で、東電設計に対し、長期評価の見解に基づく日本海溝寄りプレート間地震津波の解析等を内容とする津波評価業務を委託しました。

▽O.P. +7.7mの報告

平成20年2月1日、 M 、 J は、福島第一、第二原子力発電所所長らに対する耐震バックチェック説明会を行いました。

その際、概略検討した結果から本件原子力発電所においてO.P. +7.7mとのの結果が報告されていること、詳細検討を実施すればさらに大きくなる可能性があることを伝えました。

M は、このころ、被告人武藤にも、長期評価を取り込むことにより、O.P. +7.7mになることを伝えました。

M は、被告人武藤から、その対策として、「海水ポンプを建屋で囲うのがいいのではないか」などの指摘を受けました。

そして、2月16日には、被告人ら3名も出席して「中越沖地震対応打合せ」が開催されました。

M も、地震対策センター長としてこの会議に出席し、「Ssに基づく耐震安全性評価の打ち出しについて」(Ssは「基準地震動」)という報告を行いました。

その中で、「地震随伴事象である津波への確実な対応」、「津波高さ」、「見直し」、「+7 7m以上」、「詳細評価によってはさらに大きくなる可能性」、「指針改訂に伴う基準地震動Ss策定において海溝沿いモデルを確定論的に取扱うこととしたため」などと指摘しました。

この報告に対して、被告人ら3名を含む出席者からは、特段の異論はなく、耐震バックチェックにおいて長期評価の見解を取り上げる地震対策センターの方針が了承されました。

このような経過で、被告人ら3名は、「地震随伴事象である津波」に関する情報とその問題点を具体的に共有するようになったのです。

▽ Q 教授の意見

平成20年2月26日 N は、東北大 Q 教授を訪問し、「長期評価」について、意見を聴きました。 Q 教授は、「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」、「津波地震の波源モデルは三陸沖と房総沖を使う」と指摘しました。

▽耐震バックチェック中間報告の内容

平成20年3月31日、東京電力は、原子力安全、保安院に対して、本件原子力発電所5号機に関する耐震バックチェック中間報告を提出しました。

この中間報告では、津波に対する安全性には触れられていませんでした。

同日、被告人武藤も出席して、福島県に対して「耐震バックチェック中間報告」の説明を行い、津波の評価については、最終報告にて行う、最新の知見を踏まえて安全性の評価を行うことを確約しました。

上記中間報告において、本件原子力発電所の基準地震動の策定に際しては、地震本部の見解を取り入れていました。

想定津波水位の計算結果とこれに対する被告人らの対応

▽O.P. +15.707mの衝撃

中間報告に先立つ、平成20年3月18日、東電設計から、東京電力に対して、地震本部の長期評価を用いて、明治三陸沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位の最大値が敷地南部でO.P. +15.707mとなる旨の計算結果が、詳細な資料とともに示されました。

本件原子力発電所の1号機から4号機は、O.P. +10mの高さに設置されているのですから、この計算結果は、敷地の高さを超えて津波が襲来するという衝撃的なものでした。

この計算結果によれば、 当然、原子炉・タービン建屋内に海水を浸水させない対策が必要になります。

N は、この結果を J に報告し、J の指示を受けて、東電設計に対し、敷地への津波の遡上を防ぐため、敷地にどの程度の防潮堤を設置する必要があるのかの検討を早急に行うよう依頼しました。

これを受けて、同年4月18日、東電設計は東京電力に対し10m盤の敷地上に1号機から4号機の原子炉・タービン建屋につき、敷地南側側面だけでなく、南側側面から東側全面を囲うように10メートル(O.P. +20m)の防潮堤(鉛直壁)を設置すべきこと、5号機及び6号機の原子炉・タービン建屋を東側全面から北側側面を囲うように防潮堤(鉛直壁)を設置すべきことなどの具体的対策を盛り込んだ検討結果を報告しました(別図6参照)。

この結果は、直ちに J に報告され、同年6月2日には、 L にも報告されました。

このほかにも、東京電力は、東電設計に対し、10メートルの敷地上に津波が襲来するとの計算結果を踏まえて、様々な津波対策の解析を依頼しました。

同年5月18日には、数値解析の観点から、津波水位を低減できないかの検討、さらに既存防波堤の付け根に津波減勢効果のありそうな防波堤を新たに設置する場合の解析を依頼しました。

同年6月5日には、沖合防波堤を新たに設置した場合の検討も依頼しました。

▽被告人武藤への報告

このように、東電設計の検討結果は、大がかりな対策工事を必要とする内容であり、予算上だけでなく、地元等に対する説明上も非常に影響が大きい問題であることから、被告人武藤に報告して判断を仰ぐことになりました。

平成20年6月10日、 L 、 M 、 J 、 N 、 O 及び機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループの担当者が出席し、被告人武藤に、地震本部の長期評価を取り上げるべきとする理由及び対策工事に関するこれまでの検討内容等を資料を準備して報告しました。

資料の中には、土木学会の津波評価部会の第2期の津波ハザード解析に関する検討結果を基に東電設計が計算した結果から作成した「津波ハザード曲線(福島第6号機)」と題するグラフも含まれていました。

このグラフは、本件原子力発電所において、O.P. +10mを超える津波が来る確率が1万年に1回から10万年に1回と算出されていました。原子力安全委員会安全目標専門部会は、すでに平成18年の時点で、発電用軽水型原子炉の性能目標の定量的な指標値として、炉心損傷頻度を1万年に1回程度、格納容器機能喪失頻度を10万年に1回程度に設定していました。また、平成18年の耐震設計審査指針の改訂では、基準地震動の策定にあたっては、当該指標値を参照することとされていました。言うまでもなく、年超過確率の基本的な考え方は、津波も地震も同じで、この指標値は、確率論的津波評価に際しても参照されるべき数値なのです。この計算結果は、津波と地震という違いはあるもののO.P. +10mを超える津波が来る確率と、基準地震動を超える地震が発生する確率がほぼ同等であることを示していたのです。

J 、 N が行った、地震本部の長期評価を採用して、津波対策を講じる方向での説明に対し、被告人武藤は結論を示さず、

津波ハザードの検討内容について詳細に説明すること、

4m盤への遡上高さを低減するための概略検討を行うこと、

沖合に防渡堤を設置するために必要となる許認可を調べること、

平行して機器の対策についても検討すること、

を指示したため、 J らは、上記事項をさらに検討した上、改めて報告を行うことになりました。

N らは、同日、被告人武藤の指示を受けて、東電設計に対して、既設の防波堤をかさ上げした場合に、取水口前面と取水ポンプ位置での低減効果があるか否かの検討を依頼しました。これに対して、東電設計は、同年8日、それまでに検討した対策工をとりまとめた資料を作成し、東京電力に交付しました。

その資料中には、沖合防波堤を新たに設置した場合、津波水位を数メートル程度低減できることが示されていますが、このときの検討も1号機から4号及び6号機の南側のみならず全面に防潮堤(鉛直壁)を設置することを前提とするものでした。

7月8日には、 さらに、津波の進入方向に対して垂直に沖合防波堤を設置するケースで高さ10mという前提で港湾の船舶の出入りを妨げないようにしながらさらに、津波の進入を防ぐような構造の防波堤の検討が依頼されました。これらの検討結果7月22日、報告されました。

▽被告人武藤による方針変更

平成20年7月31日、J 及びN らは、改めて被告人武藤に対し6 月10日に指示された項目についての検討結果を報告しました。

J らは、それまでに作成した資料に基づいて

4m盤への遡上を低減させるための方策、

沖合の防渡堤の設置に伴う許認可の内容と必要とされる期間、

想定津波水位について房総沖地震の波源モデルを用いる可能性、

日本原子力発電や東北電力等の関係各社の検討状況、

津波ハザード曲線の算出方法、

などについて説明しました。

被告人武藤は、この報告を聞いて、

福島県沖海溝沿いでどのような波源を考慮すべきかについては、時間をかけて土木学会に検討してもらうこと、

当面の耐震バックチェックについては、従来の土木学会の津波評価技術に基づいて行うこと、

この方針について、専門家の了解をえること、

という方針を指示しました。

この被告人武藤の指示により、地震本部の長期評価に基づいて、津波対策を講じるべきとする土木調査グループの意見は採用されないこととなりました。

このことは、それまで土木調査グループが取り組んできた10m盤を超える津波が襲来することにそなえた対策を進めることを停止することを意味していました。

原子力発電所の津波安全性評価は、従来より「襲来する可能性のある津波」が襲来しても安全性を損なうおそれがないかどうかでなされていました。

本件原子力発電所についての津波高さの評価は、

設置許可時 O.P. +3.122m
平成6年  O.P. +3.5m
平成14年  O.P. +5.7m

と変遷してきましたが、東京電力では、その都度、「いつ」そのような津波が襲来するかを考えるまでもなく、津波対策の必要性を判断し、これに対処してきていました。

現に、平成14年には、非常用海水ポンプ電動機を20cmかさ上げする等の工事を行っています。

ところが、長期評価に基づいて10m盤を超える津波が襲来するという計算結果が出ると、従来の姿勢とはうって変わって、土木学会に検討を委ねて、津波対策を先送りにしたまま、漫然と本件原子力発電所の運転を継続したのです。

▽被告人武黒への報告

被告人武藤は、平成20年8月上旬ころ、津波水位の最大値が敷地南部でO.P. +15.707mなる旨の計算結果を、被告人武黒に報告しました。

▽総沖地震の波源モデルに基づく O.P. +13.552mの計算結果

平成20年7月31日に被告人武藤から方針が示された後も、 N は J の指示に基づいて、東電設計に対し、房総沖地震の波源モデルに基づく想定津波水位の算出を依頼しました。

同年8月22日、東電設計から、地震本部の長期評価を用い、房総沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位は、本件原子力発電所敷地南部O.P. +13.552mとなる計算結果が示されました。

この時点で、地震本部の長期評価を取り入れる限り、明治三陸沖地震の波源モデルを用いようと、房総沖地震の波源モデルを用いようと、想定津波水位は、原子炉建屋等の敷地高(O.P. +10m)を上回ることが明確に示されたのでした。

そしてこの波源モデルを房総沖地震とするという考え方は、後に述べるように、被告人らが依拠していた土木学会津波評価部会も、平成22年12月上旬には、これを採用するに至るのです。

▽耐震バックチェック説明会での説明

平成20年9月10日、本件原子力発電所の所長らに対して「耐震バックチェック説明会」が行われました。

O は、資料に基づいての長期評価の取扱いに関する説明をしました。資料の「今後の予定」には、「地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記載されていました。

▽「中越沖地震対応打合せ」におけるL 発言

平成21年2月11日、被告人ら3名も出席して、「中越沖地震対応打合せ」が開催されました。 M が、中越沖地震対策センター作成の「福島サイト耐震安全性評価に関する状況」という資料に基づいて説明を行いました。

配布された資料の中には、本件原子力発電所の耐震バックチェックの最終報告見込み時期として、1号機を平成22年4月、2号機を平成24年11月、3号機を平成23年8月、4号機を平成23年3月、5号機を平成23年1月、6号機を平成24年5月、最終報告を平成24年11月とする旨の記載があり、「地震随伴事象(津波)」については最終報告で触れることとされていました。

またこの資料には、地震随伴事象(津波)のところに書記役・ R の手書きで「問題あり だせない(注目されている)」などの記載があります。

席上、「1F、2Fのバックチェックの状況」(1Fは「福島第一原子力発電所」2Fは、「福島第二原子力発電所」)についての議論では、被告人勝俣の「最終報告とは工事まで終了しているということか」との質問から議事が進み、その議事過程で L は、「土木学会評価でかさ上げが必要となるのは、1F5 、6のRHRS(残留熱除去海水系)ポンプのみであるが、土木学会評価手法の使い方を良く考えて説明しなければならない。もっと大きな14m程度の津波がくる可能性があるという人もいて、前提条件となる津波をどう考えるかそこから整理する必要がある」と注目すべき発言を行いました。

被告人勝俣は、L のこの発言を明確に聴きました。

「中越沖地震対応打合せ」では、それより以前から継続的に福島第一、第二原子力発電所の地震や津波の安全性評価等について報告や議論がなされ、情報が共有されてきていたのですから、このような津波水位に関する発言は極めて重大な情報でした。

被告人勝俣は、このような発言を聴いた限り、少なくともこれ以降、本件原子力発電所の津波安全性評価に関する詳細な情報を収集するなどして、 これに対応すべきでした。そうすることによって、原子力・立地本部本部長であった被告人武黒や副本部長であった被告人武藤に対しても、上発言の趣旨を確認し、被告人武黒、被告人武藤と同様の認識をするに至ることができたのです。

▽平成20年8月以降の検討

N ら土木調査グループは、被告人武藤の指示に従って、平成20年8月以降、土木学会に地震本部の長期評価の取扱いを検討してもらうために、平成21年度からの電力共通研究として研究委託を行う手続を行いました。

また、同年10月以降、 S 日本大学教授、 G 教授、 T 秋田大学准教授、 Q 教授、 E 教授ら専門家に対して意見を聞くことなどを行いました。

その間、被告人ら3名が出席する「中越沖地震対応打合せ」において、津波評価を伴う耐震バックチェックヘの対応について協議が続けられていました。

被告人らは、「中越沖地震対応打合せ」の席上だけでなく、株主総会に向けての準備グループ経営会議、常務会等の会議において、担当者から、本件原子力発電所の津波安全性評価を含む運転・安全保全業務に関する報告を受け、資料の配布を受けるなど、被告人らには、頻繁に本件原子力発電所の津波安全性評価に関する情報が提供されていました。

こうしたなかで、「耐震バックチェック」の最終報告を延期することや、津波対策費用については、数値を確定してからでないと定まらないとの理由で、検討を要する事項とすることなどが確認されました。

このような諸事情は、上記会議等に出席していた被告人らが、本件原子力発電所の津波安全性評価に関する情報を収集することができ、またすべきであったことを示しています。

土木学会第3期、第4期津波評価部会における検討

▽第3期津波評価部会による確率論的リスク評価手法の検討

原子力安全委員会においては、地震動に対する耐震安全性評価における確率論的評価(「確率論的安全評価」Probabilistic Safty Assessment : PSA)の導入が議論されており、津波に対する安全性評価についても確率論的評価が必要になると考えられていました。

東京電力等においても、確率論的津波評価の実用化に向けてモデルの高度化と標準化の必要性が認識され、土木学会に対して、その研究を委託しました。

こうして、平成19年1月から平成21年3月までの間に開催された第3期津波評価部会では、引き続き、確率論的津波ハザード解析の検討が行われました。

この調査研究の過程で、津波の発生領域については、津波評価技術のほか、地震本部の長期評価や当時進展が見られた貞観地震の知見も考慮され、第2期同様に、波源の選定に関する「重み付けアンケート」が行われました。このアンケートでは、

  1. 三陸沖と房総沖のみで発生するという見解
  2. 津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さいとする見解
  3. 津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する

という見解の3つの選択肢で実施されました。

平成21年2月23日、「重み付けアンケート」の結果が報告され、地震学者等専門家の回答は、1.に最も重みを付けた学者が5名、2.に最も重みを付けた学者が4名で、3.に最も重みを付けた学者が2名で、その平均値は、1.が0.35、2.が0.32、3.が0.33で、2と3を合計すると0.65で、津波地震がどこでも発生するという考え方が、三陸沖と房総沖のみで発生するという見解を大きく上回っていました。

こうして第3期津波評価部会は、その成果として、津波ハザード解析の手法について、第2期の成果も含めた中間的な取りまとめとして、同年3月、「確率論的津波ハザード解析の方法(案)」をまとめました。

この解析方法は、各原子力発電所における確率論的津波評価を実施できるだけの精度に達していました。

こうしたことから、東京電力は、同年12月、東電設計に対して本件原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所について、上記津波ハザード解析に関する検討結果に基づいた津波ハザード評価を委託しました。

その結果、本件原子力発電所4号機の評価地点において、10メートルを超える津波の年発生頻度は1万年に1回から10万年に1回の15メートルを超える津波の年発生頻度は10万年に1回から100万年に1回との結果が、遅くとも平成22年12月頃までには算出され、東京電力に報告されました。

この結果も、平成20年の1度目の津波ハザード評価と同様、平成18年に原子力安全委員会安全目標専門部会が示した指標値に照らすと、本件原子力発電所の保全のために取り込むべき数値でした。

▽第4期津波評価部会における津波評価技術の改訂

土木学会第4期津波評価部会は、東京電力等から、「津波評価技術の体系化に関する研究(その4)」の委託を受け、平成21年11月から、その調査・研究を開始しました。

主査には、 S 教授が就任し、委員の中には委託元である東京電力をはじめ、中部電力、関西電力等の電力会社の社員も含まれていました。

部会では、最新の知見を踏まえて確定論に基づく津波評価技術を改訂するとともに、確率論的津波評価について標準的手法を示すことを目的として、津波評価技術の改訂についての検討等が行われました。

福島県沖日本海溝沿いにおける基準断層モデルの設定方法も検討課題とされ、地震本部の長期評価を確定論としてどのように取り込むかが、主題として審議されました。

平成22年12月7日、土木学会津波評価部会幹事団は、同日開催された部会会議に、「波源モデルに関する検討」と題する報告書を提出しました。

この幹事団の中には、東京電力の N 、 O 、東電設計の U らも含まれていました。

この中で、三陸沖~房総沖海溝寄りのプレート間大地震の波源については、南部は、1677年房総沖地震を参考に設定する旨の報告がされ、この内容につき、出席した地震学者らからは、異論はありませんでした。

地震本部の長期評価を用い、房総沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定すると、本件原子力発電所敷地南部での津波水位がO.P. +13.552mとなるとの計算結果は、すでに2年以上前の平成20年8月22日、東電設計から示されていたことは、前述しました。

福島地点津波対策ワーキング会議の開催

平成22年8月、 N は、 M の後任である V 新潟県中越沖地震対策センター長らに対し、地震対策プロジェクトグループ全体を取りまとめて、その下で各グループが検討を進めることが必要である旨の進言をしました。

こうして、同年8月27日、第1回福島地点津波対策ワーキング会議が開催され、土木調査グループからは N 、 O  が出席しました。

同年12月6日には第2回、平成23年1月13日には第3回、同年2月14日には第4回が開催されました。

第3回の会議において、 O は、土木学会津波評価部会で、地震本部の見解に対応した波源として、日本海溝南部では、当初海溝沿いで最も大きな津波を発生させる三陸沖北部の波源を想定していたが、 日本海溝南部は北部と特徴が異なることから、房総沖の波源を用いることが提案されたこと、上記提案には異議がなかったこと、この場合でも、本件原子力発電所の敷地南部からの遡上については、11m程度であることから、敷地高さの10mを超えてタービン建屋が浸水する可能性があることなどを報告しました。

第4回の会議において、土木調査グループは、「1677年房総沖」津波による浸水イメージをもとに、津波解析を実施すること、土木耐震グループは、津波対策工の成立性を検討していくことなどを報告しました。

しかし、平成23年3月11日までに、具体的な津波対策が現実に開始されることはありませんでした。

長期評価の改訂

平成23年2月下旬、 N は、文部科学省から地震本部の長期評価を改訂する予定であることの事前説明をするとの連絡を受けました。文部科学省からの連絡を受けた後の2月22日、原子力安全・保安院原子力発電安全審査課耐震安全審査室の W 審査官から連絡を受け、 N は W 審査官と打合せを行いました。

W 審査官から、文部科学省は同年4月に長期評価を改訂して公表することを予定していること、改訂される内容によっては電力事業者に対して何らかの指示を出す可能性もあること、まずは東京電力の検討状況を聞きたいと言われました。

N は、東京電力にとって影響の大きい話であると考え、すぐに被告人武藤も含めた幹部に W 審査官の話を伝えました。

原子力安全、保安院による東京電力に対するヒアリング

平成23年3月7日、 N らは、原子力安全・保安院の X 耐震安全審査室長、 W 審査官らと面会しました。

席上、 X らは、地震本部が同年4月中旬に予定している「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」改訂版の公表に対する東京電力の対応についてヒアリングを行いました。

N は、土木学会津波評価部会においても、「北部では『1896年明治三陸沖』、南部では『1677年房総沖』を参考に設定する方針に異論なし」とされていることを説明するとともに、「明治三陸沖」で評価したときは、本件原子力発電所南側でO.P. +15.7m、「房総沖」で評価したときは、O.P. +13.6mの津波が予想され、タービン建屋等が浸水するとの分析結果がすでに出ていることを資料を示して説明しました。 X らは、この説明に驚き、早急に対策が必要である旨の指導をしました。しかし、東京電力では何らの対応策も講じることはありませんでした。

そして、その4日後に本件地震が発生し、O.P. +10mを超える津波が襲来したのです。

まとめ

▽東電設計による津波評価の計算結果は、本件原子力発電所に10m盤を超える高さの津波が襲来することを示すものでした。被告人武藤は平成20年6月10日、被告人武黒も遅くとも同年8月上旬には、上記計算結果を実際に認識していました。

しかも、被告人らが出席する「中越沖地震対応打合せ」等が継続的に行われ、席上、本件原子力発電所に関する様々な情報が報告され、とりわけ平成21年2月11日には、当時原子力設備管理部長であった L が「もつと大きな14m程度の津波がくる可能性があるという人もいて」などと発言しているのですから、被告人勝俣も上記事実を知ることができました。

このような状況である限り、被告人勝俣は、継続して本件原子力発電所の安全性に係る会社内外の情報を常に収集することによって、東電設計の計算結果の重大性は、十分に認識できました。被告人武黒も同様です。

このように被告人らは、いずれも本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来し、これにより同発電所の電源が喪失するなどして、炉心損傷等の深刻な事故が発生することを予見できたのです。

そして万一、被告人らが、東電設計の計算結果や L 発言を軽視し、安全性評価や津波対策についての情報を収集することや共有することを怠り、適切な措置を講じることの必要性を認識していなかったというのであれば、そのこと自体、明らかに注意義務違反です。

▽さらにまた、被告人らは、長期評価の取扱いについては、土木学会に検討を依頼し、その検討結果に基づいて、その時点で必要と考えられる津波対策工事を行う方針であったと主張するもののようです。しかし、土木学会においても、三陸沖~房総沖海溝寄りのプレート間大地震の福島県沖の波源については、房総沖地震を参考に設定することとされ、しかも、この方法による本件原子力発電所敷地の津波水位は、すでに平成20年8月の時点でO.P. +13.552メートルであるとの計算結果が明らかとなっていたのです。

仮に被告人らの主張を前提としても、上記方針は被告人らが自ら設定したのですから、被告人らはこのような諸情報については、当然に報告を受けていたと推認することができます。もし、被告人らがこのような土木学会の状況などの報告を求めず、その状況を把握していなかったとすれば、 このこともまた、なお一層、被告人らの注意義務違反となるのです。

▽被告人らは、発電用原子力設備を設置する事業者である東京電力の最高経営層として、本件原子力発電所の原子炉の安全性を損なうおそれがあると判断した上、防護措置その他の適切な措置を講じるなど、本件原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負っていました。運転停止以外の「適切な措置」を講じることができなければ、速やかに本件原子力発電所の運転を停止すべきでした。

それにもかかわらず、被告人らは、何らの具体的措置を講じることなく、漫然と本件原子力発電所の運転を継続したのです。被告人らが、費用と労力を惜しまず、同人らに課せられた義務と責任を適切に果たしていれば、本件のような深刻な事故は起きなかったのです。指定弁護士は、本法廷において、このような観点から、被告人らの過失の存在を立証します。

以上

出典:引用コンテンツです。
本ページコンテンツは、詳報 東電 刑事裁判「原発事故の真相は」|NHK NEWS WEB( https://www3.nhk.or.jp/news/special/toudensaiban/ )より引用した内容となります。