目次
- 控訴審期日、11月2日に決まる!! 現場検証求める署名を進め、東京高裁に集まろう!:佐藤和良
- 東電刑事裁判は福島原発事故の隠された真相を明らかにし、すでに原発損賠訴訟の住民勝訴判決の中に生きている:海渡雄一
- 2021年4月25日開催のオンライン集会 『さあ!控訴審へ!東電刑事裁判・逆転勝利をめざす集会』より弁護団報告
- 北村賢二郎弁護士による報告 – 福島原発訴訟・刑事裁判と民事裁判の判決比較など
- 大河陽子弁護士による報告 – 福島原発事故 収束・避難の困難
- 甫守一樹弁護士による報告 – 東電株主代表訴訟と刑事裁判の関係について
- 「東京高裁の裁判官に現場検証を求める署名」にご協力を!
- オンライン集会のDVDを販売しています
- 支援団にお寄せいただいたメッセージをご紹介します
- 事務局からのお知らせとお願い
控訴審期日、11月2日に決まる!!
現場検証求める署名を進め、東京高裁に集まろう!:佐藤和良
佐藤 和良(福島原発刑事訴訟支援団団長)
政府が2011年3月11日に発出した原子力緊急事態宣言は依然として解除されていません。昨年11月現在、福島第一原子力発電所の原子炉建屋からは、毎時約2.4万ベクレルの放射性物質が大気中に放出され、1日あたり約4,000人以上の労働者が厳しい事故収束作業に従事しています。
30〜40年で廃炉という政府と東京電力の中長期ロードマップは、未だ使用済み燃料の取り出しさえ完了せず、燃料デブリの取り出しは夢のまた夢です。廃炉完了とはどういう状態なのか、あらためて根本的に見直す時にきています。
4月13日、政府と東京電力は、福島県漁連との「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」という文書約束を反故にして、タンク貯蔵汚染水の海洋放出を決定する暴挙に出ました。
これは、県漁連や全漁連をはじめ全国漁民の反対の声、第一次産業はもとより各種産業や地域の声、県内自治体議会7割の反対及び慎重という政府への意見書等を切り捨て、踏みにじるものです。被害者を分断し泣き寝入りさせ、さらに被害を拡大する、この強権に屈するわけにはいきません。
東京電力福島第一原発事故の責任を問い、事故の真実を明らかにする福島原発刑事裁判は、旧経営陣の勝俣恒久、武黒一郎、武藤栄ら3被告人に対する一昨年9月の東京地裁・永渕健一裁判長による不当な無罪判決から、東京高裁での控訴審に移ります。地裁判決は被告人に不都合な事実を切り捨て、証拠を無視した事実誤認も甚だしい、「黒を白と言いくるめる」不当判決でした。
控訴審では、東京地裁が却下した、福島第一原発や双葉病院の現場検証の実現、地震本部の長期評価の信頼性、被告人らの関与を明確に立証した山下調書の信用性、結果回避措置の実施可能性等々、原判決の事実誤認を覆すための立証を成し遂げねばなりません。
福島第一原発敷地内、また、避難の過程や搬送先で次々と尊い命が奪われた、双葉病院とドーヴィル双葉の施設や搬送先、搬送先までのルート、さらに避難指示が出された住民等の居住地などの現場を検証して、被害の実態をつぶさに把握し、刑事責任の深刻さを裁判所が認識することが必要不可欠です。
最後に、コロナ禍の下ですが、東京高裁での有罪判決を勝ちとるために、無念の死を遂げた被害者、その遺族、そして被災者の10年を想い、みんなの力で、控訴審が動き始めたことを全国で知らせるとともに、第一回公判には、東京高裁に駆けつけましょう。
決して諦めず、ともに手をつなぎ、一歩一歩前進することを、心からお願い申し上げます。
(4.25集会・団長あいさつより)
東電刑事裁判は福島原発事故の隠された真相を明らかにし、すでに原発損賠訴訟の住民勝訴判決の中に生きている:海渡雄一
海渡 雄一(福島原発告訴団弁護団)
なぜ、福島事故の責任にこだわるのか
私が福島原発事故の原因と責任にこだわるのは、その前史として、浜岡原発裁判における痛恨の極みともいうべき敗訴判決を受けたためです。
東海地震の起きる震源の真上で稼働していた浜岡原発の稼働を止める訴訟は、私が最も力を入れていた原発訴訟の一つでした。この訴訟で私たちは、想定を超える地震が起きること、2004年末のスマトラ沖地震以後は、M9クラスの超東海地震が起きることを主張していました。
現地検証では、非常用電源が浜岡の場合一階にあり、軽油タンクやディーゼル―の送油管が地震で破壊されてしまうこと、ディーゼルが津波で被水する可能性があることなども指摘していました。
しかし、2007年9月26日の静岡地裁判決は私たちの完全な敗訴判決でした。事前の感触からは勝訴を確信していました。なによりも、新耐震指針に基づく国のバックチェックが完了せず、国が安全であるといえない状況だったからです。
しかし、私たちは勝てませんでした。新耐震指針に基づくバックチェックは念のためのものにすぎず、旧許可によって安全性は確認されているという目茶苦茶な判決でした。
私たちのために証言して下さった地震学者の石橋克彦氏は、判決を受けて記者たちに、「この判決が誤っていることは自然が証明するだろうが、その時私たちは大変な目に遭っているおそれが強い」と言われました。
3.11の直後に、この言葉を思い出した私は、自分たちが力不足で、静岡地裁で勝てなかったから、福島原発事故を未然に防ぐ絶好の機会を逸したのだと悔い、昼は日弁連の事務総長としてきちんと働いてはいましたが、夜になると涙が止まらない日が続きました。
佐藤さん・武藤さんとの出会い
この年の8月16日に佐藤和良さんと武藤類子さんたちが日弁連まで、原発事故の被害者を救済する立法を提言してほしいと、陳情に来られました。
また、9月19日のさよなら原発集会に、私は会長の宇都宮さんと二人で連れだって出かけました。そして、武藤さんの引き裂かれるような福島の実態報告と、真実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、私たちは棄てられたのだということばに大きな衝撃を受けました。
岩波新書『原発訴訟』は、2011年10月に今後の原発事故をめぐる訴訟を展望して書いた本です。私はこの本でも、事故原因について、15メートル津波解析(8月の読売新聞で明らかになっていた)、岡村氏の耐震バックチェック時の貞観の津波に関する厳しい指摘を引用し、東電幹部の刑事責任を問うべきだと書いています。
政府事故調をベースに刑事告訴
12月に政府事故調の報告書が出されます。翌2012年の6月に告訴団の告訴状が福島地検に提出されます。これは、政府事故調が明らかにした事実関係をもとに、河合弁護士が作ってくれたものです。
政府事故調をベースにしたことはとても正しい選択でした。この政府報告書はたくさんの事実は隠されていますが、書いてあることは事実なのです。ですから、検察庁はきちんと捜査せざるを得ないと考えたのだと思いますし、新しい事実が明らかになるごとにジグソーパズルのように事故の全体像が明らかになってきたのです。
2013年9月には最初の不起訴がなされます。福島と東京で検察官による不起訴理由説明会が開催され、10月には検察審査会に審査を申し立てました。2014年7月に検察審査会の起訴相当の議決がなされます。
この議決の段階では私たちは政府事故調と国会事故調が調べた事実ぐらいしかわかっていませんでした。ですからこの議決は、原発には高い安全性が求められ、1万年に1度の自然災害にも対応しなければならないという、私たちが提出した法的な理屈がそのまま書かれています。
政府事故調の調書の公開と新たな事実の発覚
2014年5月に朝日新聞の吉田調書報道がはじまります。この報道はわけのわからない経過の中で、誤報と決めつけられ、その記事は取り消されてしまいました。しかし、吉田調書が公表されただけでなく、供述者本人が同意しているということが条件ですが、771通に及ぶ政府事故調の供述調書の内200通以上が公表されます。
私たちは、これらの調書を読み込んで、新たに分かったことを検察審査会に提出していきました。2015年5月に発刊した海渡・河合他『朝日新聞吉田調書報道は誤報ではない』の後半には、この当時に検察審査会に提出していた文書の概要、例えば、保安院と東電間の貞観津波に関するやりとりなどをまとめています。
第2次検審議決の衝撃
2015年7月に公表された第2次検察審査会の議決は衝撃的なものでした。検察が捜査の結果集めていた証拠の概要が明らかになったのです。
2008年2月の御前会議、3月の耐震バックチェック中間報告時の役員用のQ&Aに、推本の長期評価に基づいて津波対策を実施する方針が説明されていたことなど決定的な新事実が明らかになったのです(『市民が明らかにした福島原発事故の真実 東電と国は何を隠蔽したのか』彩流社ブックレット2016年2月にまとめられています。)。
その後、刑事裁判の経過で明らかになった事実は、『東電刑事裁判で明らかになったこと 予見・回避可能だった原発事故はなぜ起きたか』(彩流社ブックレット2018年10月)にまとめました。
そして、永渕判決の問題点と指定弁護士による控訴趣意の中身は単行本『東電刑事裁判 福島原発事故の責任を誰がとるのか』(彩流社2020年12月)にまとめました。
民事訴訟と刑事訴訟・株代訴訟は運命共同体
負け惜しみでなく、この訴訟で私たちが明らかにした事実と証拠は、生業訴訟と千葉訴訟で国の国賠責任を認めた高裁勝訴判決に役立っています。最高裁で、国の責任を認めた判決を確定させることができれば、東電役員の個人責任を否定することは難しくなるはずです。
並行して東電役員の民事責任を明らかにするために進めてきた東電株主代表訴訟が2月から証人調べに入っており、推本の長期評価について長期評価部会の委員であった気象庁の元火山地震部長が長期評価には高い信頼性があることを明快に証言しました。
産総研で津波堆積物の調査にあたっていた岡村行信氏は、津波堆積物の調査を継続したいと述べた東電の担当者に「調査を進めても貞観の津波の規模は大きくなることはあっても、小さくなることはない。
今さら調査は無駄。今すぐ対策工事に取り掛かるべきだ」と述べたことを証言しました。いずれも、東電の責任を明らかにする決定的な証言です。
さらに、元東芝の原発技術者の渡辺敦雄氏と後藤政志氏は、津波対策のための水密化や防潮壁は、技術的には容易で、対策は事故に間に合ったことを証言しました。株代訴訟は夏には証拠調べが終わる予定です。
東京高裁の第1回期日には東京高裁を人々の輪で取り囲もう
刑事裁判は、4月に弁護側の答弁書が出され、11月には高裁の期日も開かれます。弁護側は答弁書で「現場検証は不要」「対策は原発の停止だけを論ずれば足りる」「推本の長期評価には停止を基礎づける信頼性はない」「御前会議で津波のことは議論していない」「新たな証人尋問は不要」などと、永渕判決を守り抜き、逃げ切りを図っています。
高裁の刑事公判の審理は、第1回の期日で新たな証拠調べを実施するかどうかで、判決を見直すかどうかの帰趨が決まるといえます。コロナ禍の下でも、第1回公判には、高裁の建物を多くの市民で取り囲み、高裁における検証と証人の採用を強く迫ることが必要です。どうか、ご支援をお願いいたします。
2021年4月25日開催のオンライン集会
『さあ!控訴審へ!東電刑事裁判・逆転勝利をめざす集会』より弁護団報告
2021年4月25日に開催したオンライン集会の弁護団報告より、北村弁護士、大河弁護士、甫守弁護士の報告を要約して掲載します。
北村賢二郎弁護士による報告
– 福島原発訴訟・刑事裁判と民事裁判の判決比較など
民事裁判に関しては、2020年9月30日に出た生業訴訟の仙台高裁判決が、刑事裁判の第一審判決と良い比較対象になるので、この比較で話をさせていただきたいと思います。
刑事裁判の判決と生業訴訟高裁判決は、すごくざっくり言うと、それぞれの裁判所が証拠は同じようなものを見て結論が真逆になっている。それが非常に象徴的な部分です。刑事裁判判決は、要は電源が喪失して事故を起こすような津波が起こるということを、予見した上で対策を取るという義務違反が被告人らにはありませんでしたというものです。生業訴訟の判決の方では、10m盤を超える津波が起きて、原発を襲うことが予見できたはずだという前提で、東電の義務違反を認めているというところが大きな違いです。結論を分けた重要な点がまさに、津波が原発を襲うようなものかを予測できたのか、というところになるわけですね。
その予測を促す内容が、地震調査研究推進本部、通称「推本」と言われるところの長期評価です。この長期評価というのは、福島県沖で今後大きな津波が発生する可能性がありますよ、という内容を公表したものです。この長期評価の内容を踏まえれば、福島第一原発に大きな津波が来るだろうと予測できたのか、いやいやこの長期評価をもってしても対応しなければいけないほどの信頼性とか具体性はなかったんじゃないのか、というところで判断が分かれているわけです。
まずは刑事裁判の方から見ていきますと、被告人の勝俣、武黒、武藤らが、津波が来るかどうかを予見できたかということが争われる中で、裁判所は、福島第一原発に10m盤を超える津波が来るということを信頼性や具体性のある根拠を伴って予見できたかをまず判断基準に立てています。つまり被告人らが、何か信頼性がある資料、具体性のある資料というのを認識していたかどうかということがポイントなるわけですが、この長期評価がそれに当てはまるかが、一番の争いになったわけです。長期評価にそのような信頼性とか具体性が十分ないならば、被告人らはその長期評価を見たとしても、原発に津波が来るということは予見できないから、最終的には注意義務違反はありませんでしたという結論を出しているのが刑事裁判になります。
一方、民事の生業訴訟は、損害賠償を認めるかどうかの前提として、東京電力に注意義務違反があったのかということが極めて重要な争点となりました。そうすると、ほとんど刑事裁判と同じような争点になってくるわけですね。生業訴訟判決は、10m盤を超える津波に備えるべきだという予見が、2002年の終わり頃にはできたんだというふうに判断しています。長期評価が出されたのが2002年の7月末です。要するにこの生業訴訟では、長期評価が信頼できるという前提で、東電側の責任を認めているという判決になっています。
なぜほとんど同じ証拠を使っていながら裁判所が違う判断をしているのかというところですが、裁判官が理屈で危険性というものについて理解するだけでなく、それに加えて自分の感覚として、これは対応する必要があったんだ、それほどのものだったんだというのが腹に落ちたかどうかというのが、かなり重要ではないかと思っています。
そのために必要なのが、裁判官が現地に行くということですね。生業訴訟では、裁判官は現地に行って調査をしています。福島の被害にあった場所などを見て、どういったことが起こったのか、原発事故はどれぐらい深刻なものだったのか。放射能汚染についても、防護服を着て見てまわったわけですから、その事故の甚大さ、被害の大きさというのを、裁判官自身が肌で感じているわけです。一方で刑事裁判では裁判官は現地に行っていませんので、ここはすごく大きなポイントだろうなと思っています。
支援団としても裁判官に現地に行ってくださいとお願いしているのは、まさに裁判官がこの事故の重大さを肌で感じて、頭だけで考えるのではなくて、腹に落とすというのを促すという意味で、非常に重要なものになってくるからです。刑事裁判で裁判所が現地に行くとすれば、まずは福島第一原発のサイト内を見て回り、津波にどれだけ弱いものなのかということが一目瞭然になってくると思います。岩盤を掘り下げたすり鉢状のところに原発が設置されているので、そこから海を眺めれば、津波対策の必要性というものが、今まで我々が書面で文字で説明していたことが、肌感覚として分かってくるのではないかと思います。それ以外にも重要なのは、サイト外の福島の被害にあった場所、被災地ですね。双葉病院ですとか、請戸の浜ですとか、そういう被災地を直接見ることで、やっぱり原発を動かす責任の重さ、その結果として役員の負担する責任や義務の重さといったものも実感できると思います。やはり裁判官といっても同じ人間ですので、文字だけではなくて、現地で自分の感覚で直接情報を得るというのが非常に重要になってくると思います。納得感という部分、腹に落ちる感覚っていうところにすごく寄与するのが、現地を見るということだと私は考えています。
この刑事裁判でも現地へ裁判官を連れて行くということを目指して、支援団と弁護団と協力して頑張っていければと考えております。
大河陽子弁護士による報告
– 福島原発事故 収束・避難の困難
私からは、双葉病院の患者さんの避難の経過に原発事故の進展を絡めてお話しさせていただきたいと思います。というのも、先日の東海第二原発の差止訴訟の判決では避難計画のところで住民側が勝ったのですが、その主な理由は、原発は事故が起きると「止める・冷やす・閉じ込める」という対策に成功し続けないといけないという施設であり、その被害は甚大であるというところです。福島第一原発事故を見ても、事故収束が困難で、特に「冷やす」がなかなかできなかったことが現れていると思いますので、そういったところを振り返ってお話したいと思います。
原発事故が起こると収束がなかなかできずに、更に被害が甚大になるからこそ、それらを設置・運転する者には、原発事故を万が一にも起こさないために業務上の細心の注意が求められていたと考えられます。指定弁護士が、被告人らには積極的な情報収集義務があるのだと主張しているのも、同じような考えに基づくものだと思います。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が起き、その後大津波が来ました。大津波に襲われた福島第一原発では事態が急速に進展しています。地震発生1時間も経っていない15時42分には1号機から3号機が全交流電源喪失に至り、その1時間後には1号機と2号機の非常用炉心冷却装置が注水不能になりました。3月12日の5時44分には福島第一原発の半径10km圏内の住民に避難指示が出されました。双葉病院は福島第一原発から約4.5kmの場所に位置しているため、避難指示を受けて12日の14時頃、双葉病院と隣接するドーヴィル双葉で第一陣避難として、入院患者さん209名がバス5台での避難を開始しました。取り残された患者さんは双葉病院では129名、ドーヴィル双葉は98名でした。
12日15時頃、双葉病院に取り残されている患者さんらを救出するために、自衛隊が原発から60km離れたところに位置する郡山駐屯地を出発しました。自衛隊が救出に向かっていたところ1号機が水素爆発しました。自衛隊は放射線防護の装備を備えておらず、やむなく郡山駐屯地に引き返すことになりました。引き返してからも放射線防護の装備がなかなか整わず、救出に向けた出発がおおよそ丸々1日以上延びました。
その間、原発の様子はどうだったでしょうか。13日も原発は冷やすことができずに状況は悪化していました。3号機では非常時に炉心を冷却する高圧注水系を2時40分に手動で停止しました。ディーゼル駆動の消火ポンプによる注水に切り替えるはずでしたが、不慣れで切り替えが失敗しました。そして5時10分、3号機は原子炉冷却機能喪失となりました。テレビ会議によると、13時50分には3号機の燃料は半分くらい水面から顔を出していると発言がされています。14時30分には原子炉建屋の格納容器の出入口で毎時300mSv以上が計測されたと報告されています。4号機では13日の11時56分に使用済み燃料プールの温度が、東電の安全上の基準である65℃を超え78℃まで上がっていることが確認されました。使用済み燃料プールについて、吉田所長は一番危険なのは4号機だったのだと事故後に振り返っています。
このように13日も原発は危機的状況でしたが、双葉病院の救出はどうなっていたでしょうか。自衛隊はようやく届いたタイベックスーツを着用して、当初の予定が丸1日以上遅れた14日午前0頃、双葉病院へと出発し、4時頃には双葉病院に到着しました。病院にいたのは寝たきりなどの重症患者さんばかりでした。事前情報では患者さんが少なく軽症だという認識だったので、通常のバス数台しか用意しておらず、重症の患者さんたちを搬送するためのストレッチャーなどがある専用の車両は用意していませんでした。そこで、重症の患者さんであっても相双保健所までであれば30分程度の距離なので大丈夫と考え、点滴を外して搬送することになりました。点滴を外された患者さんはこの時点で、水分や塩分を摂取することができなくなっています。寝かせた状態でバスに乗せるので、搬送できる人数は極めて限られてしまいました。
14日午前10時半頃に、第2陣避難の車両が相双保健所に向けて出発しました。しかし車両には病院スタッフが付き添うことができませんでした。原発が何度も爆発する中、まだ双葉病院に取り残されている患者さんをケアするために、数少ない病院スタッフが残らざるを得なかったのです。
14日午前11時に3号機が水素爆発を起こしました。第2陣避難のバスはその日の正午頃にスクリーニング場である相双保健所に到着しました。病院から相双保健所までは普段ならば30分位で着くのですが、原発周辺を避けて通らざるを得ず、1時間半の時間を要しました。受け入れ先も決まらぬまま出発したので、患者さんたちはバスに乗ったまま待機し続けました。15時頃バスは出発しました。受け入れ先が見つかり、14日の20時頃にようやくバスはいわき光洋高校の体育館に到着しました。出発から約10時間が経過していました。双葉病院の看護副部長の証言によると、バスの車内は排泄物による異臭が漂い、バスの座席にきちんと乗っている患者さんはほとんどおらず、防護服を着せられ手足のきかない状態でいたり、座席の足元で亡くなっている患者さんもいたことなどが明らかになりました。患者さん達は寒い体育館の床の上に直接敷かれた毛布の上に寝かされました。車内で3名が死亡、翌日11名の死亡が確認されました。
ではこの時3月14日の原発の様子はどうだったでしょうか。先ほどの第2陣が避難中に3号機が爆発しましたが、2号機も危機的状況でした。吉田所長は3月14日の2号機について「私は本当にここだけは一番思い出したくないところです」「ここで本当に死んだと思ったんです」「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」と述べています。14日夜には原子炉の危機的な状況を踏まえて現地の対策本部であるオフサイトセンターの撤退が決定されましたが、この危機的状況でも双葉病院にはまだ患者さんが残されています。
第2陣がいわき光洋高校に到着した14日の夜以降も、自衛隊は残された患者たちの救出活動を続けていましたが、14日の深夜にはなぜか撤退してしまいました。その場にいた警察官が自衛隊の撤退を見てただならぬ状態であると判断し、病院スタッフを警察の車両で強制避難させ、川内村の割山峠付近まで退避させました。これ以降双葉病院には医療スタッフはいない状態となってしまいました。
3月15日の午前1時半頃に自衛隊は再び双葉病院に向かい、9時頃には避難作業を再開しました。第3陣避難です。この日の自衛官の供述調書によると、「救助作業中に線量計の音がなる間隔がどんどん短くなり、放射線の塊が近づいてくるようだった」と述べられています。医師免許を持った自衛官が「『もう限界だ』と叫びすぐに病院を出発するように」指示をしたという状況でした。放出線量があまりにも高く救出作業ができなくなり、搬送が47名で打切られ、42名の患者さんが取り残されたことが明らかになりました。
その頃の原発の様子ですが、3月15日の早朝5時30分過ぎ、菅直人首相が東電2階の対策本部に乗り込み、日本が潰れるかもしれない、撤退はあり得ない、命がけで原発事故を抑え込むようにと訴えました。しかしその演説から1時間も経たない6時頃、4号機原子炉建屋が爆発しました。また6時14分頃、2号機で大きな衝撃音と振動が発生しました。東電は圧力抑制室が損傷した可能性を考え、必要な要員を除き、一時的に福島第二原発に作業員らを移動させることにしました。第一原発の対策本部に残ったのはわずか70名でした。その日15日の8時30分過ぎに東電本店で記者会見が開かれました。出席した東電社員が暗い表情で福島第一原発の作業員らが移動開始したことを発表しました。
この状況でもまだ双葉病院には患者さんが残されています。第4陣避難では15日の11時半に7名を救出しました。作業に当たった自衛官の調書によれば、「部下に指示して病院内を確認したところ、他に患者がいないとの報告だったので7名の救助で終わりました。しかしその後、別棟に35人の患者が残されているのを知って再び病院に戻り、15日の深夜までかかって残りの35人を救助した」と証言しています。つまり、全員救出まで3月11日から実に4日間もかかりました。
これは放射線が救出活動を阻んだ結果です。患者さん達は体力を奪われ医療ケアを受けられず、44名もの命が奪われるという本当に過酷で悲しい避難でした。
これまで述べたとおり、原発は事故収束が困難な施設であり、また避難が困難な施設です。このような施設であることは、遅くともチェルノブイリ原発事故によって世界が経験して明らかになっていました。原発事業者の取締役だった被告人らは、このような深刻な事態を招きうる原子力発電所の設置・運営にあたっては細心の注意を払って、万が一にも事故が起きないように業務を執行する義務があったのです。
甫守一樹弁護士による報告
– 東電株主代表訴訟と刑事裁判の関係について
私からは、私が代理人をしております東京電力株主代表訴訟と刑事裁判との関わりについてお話ししたいと思います。まず株主代表訴訟というのはどういう裁判なのかという話からお話しします。
全国の地方裁判所や高等裁判所では、すでにたくさんこの原発事故についての判決が存在していますが、原子力損害賠償というのは少し特殊な部分があります。まず東電の責任というのは無過失責任であるということが法律で決まっています。一般の損害賠償で責任を問うためには少なくとも過失がないといけないわけですが、原発事故に起因する損害賠償では、被害の立証をするとなると被害者が不利になり大変ですから、被害者保護の観点から無過失責任にするということになっているのが1点。もう1つが責任集中の原則というもので、原則として原子力事業に関する損害賠償は、原子力事業者以外の者は一切責任を負わないというものです。これも被害者が損害賠償の相手を容易に知りうるという観点と、それから原子力事業者に機器等を提供する関連事業者を免責することによって原子力事業を保護するというような政策的な意味があります。つまり、無過失責任によって東電に過失があろうとなかろうと賠償しなければいけないことは決まっています。だから東電は一般的な民事裁判では過失があるかどうかという議論は一切しないで、金額の話だけしてくる。その結果、東電がやったことが本当に人災だったかどうかという議論がほとんどすっ飛ばされてしまう。そして責任集中の原則があるので、被害者が、いや勝俣が悪い、武黒が悪い、武藤が悪いという主張をしたくても、原則として主張できないということになっているわけです。
そこからすると株主代表訴訟というのは極めて特殊な訴訟類型で、会社法423条1項で、取締役などの役員等はその任務を怠ったときは会社に生じた損害を賠償しなければいけない、この会社に対する賠償責任は、先ほどの責任集中の原則からしても免れることはできないと解されています。会社が負った損害は、役員が責任を持って賠償しなければいけないわけです。しかし実際には会社が役員の責任を追及するために損害賠償請求する、訴訟を起こすことにはなかなかならないです。一方株主としては、自分の持っている株式の価値が下がって非常に不利益を受けるから困るということで、株主として会社の損害を会社に代わって請求することができる。裁判所に請求することができる。これが株主代表訴訟という訴訟類型になっています。
この東電の原発事故についても株主の方から、役員が悪いんだからちゃんと損害賠償請求しろと東電に対する監査請求があり、東電がそれを跳ね除けるという前段があって、2012年3月5日、河合弘之弁護士らが中心になって東京地方裁判所に株主代表訴訟を提起しました。
当初は今から見ると請求金額がちょっとかわいい感じですね。5.5兆円。これでも史上最高額だと言っていたわけですけども、今はもうこの事故の被害というのは5.5兆円じゃ全然きかないということは明らかで、請求拡張して22兆円を請求しています。廃炉の費用ですとか損害賠償の費用ですとかそういったものを積み重ねていくと22兆円になる。これに今後汚染水処理費用とかを加算させていくと100兆円くらいになるんじゃないかとも考えられていますが、とりあえず今は22兆円を請求しています。
被告は、長期評価を元にした津波シミュレーションが行われた2008年当時に代表取締役もしくは原子力部門の担当取締役を務めていた5人に絞って、争点をわかりやすくして判断を求めているという構図になっています。取締役の任務というのは単に会社が儲かればいいというわけではなくて、当然法令に違反してはいけないというのが大前提になっています。問題になっているのは電気事業法39条1項の技術基準適合維持義務です。この技術基準では、津波によって原子炉の安定を損なう恐れがある場合には適切な措置を講じなければならないとあります。つまり津波によって原子炉の安全性を損なう恐れがあるのに何もしなかったというのは、これに違反するということで、それによって生じた東電の損害というのは本来役員が賠償しないといけないわけです。やはり一番大きな争点は、津波によって原子炉の安全を損なう恐れがあるといえる状況だったか否かというところで、刑事裁判とほぼ同じ構図ですし、それ以外の民事裁判ともほぼ同じ構図だと言ってもいいと思います。
それから長期評価を基にした津波シミュレーションも当初は公開されていませんでした。これを出させたというのもこの株主代表訴訟の一つの大きな成果じゃないかなと思います。この裁判の被告は役員ですが、東電が役員の側に補助参加していますので、東電からいろいろ資料を出させることができるという構造になっています。その点でこのような、事故調なども明らかにしていないような具体的な資料をどんどん出させているというところの意義は大きいのではないかと思います。
そしてこの情報公開の一環として、刑事裁判もこの株主代表訴訟の中で利用されているわけです。文書送付嘱託と言いますが、刑事裁判をする刑事部から民事部に、その証拠はうちの裁判でも必要だから取り寄せてくれと申し立てをして、刑事裁判の方で取り調べられた証拠も、ほとんどすべてと言っていいぐらいこの株主代表訴訟の方の証拠になっています。その結果我々は写しを見ることができますし、また全国の損害賠償訴訟にもこの刑事裁判の証拠というのが利用されています。この原発事故を巡る裁判の枠を一つ大きく広げたという意義があります。やはりこの刑事裁判の証拠は、これまで事故調が調査不十分で見逃していた、あるいは隠していた事実というのを明らかにした部分があるので、それをこの株主代表訴訟を通じて議論にのせることができているという意義は非常に大きいのではないかなと思います。
刑事裁判の中では、津波といえば長期評価そして15.7mの津波シミュレーションが問題になっているわけですが、実は刑事裁判の証拠をよくよく見てみると、東電はこの推本津波、長期評価だけじゃなくて、貞観津波というのも非常に気にしていたことがわかります。2008年の8月18日、つまり武藤さんがもう長期評価は耐震バックチェックに取り入れないよって決定した直後の頃ですが、東電の担当者のメールには貞観津波について、「津波堆積物調査結果に基づく確実度の高い新知見ではないかと思い、これについて、さらに電共研で時間を稼ぐ、は厳しくないか?」と書いてあります。武藤さんが推本津波はもう無視しようって決めた時に貞観津波が出てきて、これを考慮すると結局大規模な津波対策が必要になるじゃないか、しかもこれは確実度の高い新知見じゃないかというわけです。
長期評価のちょっと弱い点は、過去にそういう津波が福島県の沿岸部を襲ったという確固たる証拠がないところですが、貞観津波については明らかに福島県の沿岸部まで大きな津波が到達しています。つまり過去に起きた津波だというところは明らかなわけなので、過去に起きた証拠はないから考慮しませんよと言い訳していた東電としては、この貞観津波についての評価によって追い込まれているわけですね。その後、実は東北電力がもうすでに貞観津波を耐震バックチェックに取り入れるという決定をしていましたので、これで東電は非常に困る。東北電力が考慮してるんだから東電も考慮しなさいと、保安院に言われかねないわけです。だから東北電力の耐震バックチェックの報告書を何とかして潰そうと思って、東電の本社に東北電力の社員を呼びつけたり、ちょっといろいろ悪巧みをしているわけです。古い論文でなんとか乗り切れないかと企んだり、東北電力さんがどうしても書かなきゃいけないっていうんだったら「参考」ってことにしてくれませんか、そうすれば東電の悪影響も最小限に抑えられます、みたいなお願いをして、現実に「参考」にさせてしまったりしています。吉田さんに対して報告された資料でも、並べて見せて推本よりもむしろ優先順位が高いみたいな書きぶりにもなっている。その資料でポイントになるのが、「7/17日岡村」と書いてあるところで、要するに岡村先生が貞観津波を考慮しなくてもいいですよと言ってくれました、というふうに書いてあるんですけども、実はこれが嘘だったということが、後の証人尋問で明らかになります。そのように、株主代表訴訟では貞観津波への対策を怠っていたというところも一つのポイントです。
貞観津波がとてつもない津波だということはかなり昔からわかっていたことではありました。ただその津波の広がりというのがどれくらいかというのはよくわかっていませんでした。2006年頃、産業技術総合研究所の岡村さん達のグループが一生懸命調べていったんですね。3km~4km内陸まで貞観の津波が、水だけじゃなく砂が来てる。相当高い水が来ない限り砂は入らないわけです。そういう痕跡があるということは、よほど大津波だとわかるわけです。そんな津波を起こすような断層、地震のモデルはどんなだろうかということもちゃんと研究していました。宮城県だけじゃない、福島原発の目の前に断層があるよと、2008年の報告書にちゃんと書いてあります。これを東電担当者が見つけて、これはヤバイということでとりあえず計算して、でも推本を無視したんだから結局これも無視しようということになってしまった。そういう経緯があるので、この株主代表訴訟の方では争点の一つとして主張することにしました。
その中で証人尋問として岡村行信さんを呼んだわけです。岡村さんはこの原発事故が起こる前に、福島第一原発の津波対策が不十分だからおかしいということを、公の場でほぼはっきりと言った人だったんですね。耐震バックチェックの中間報告書を審査するための審議会の中で、東電が最大だと言っている津波とは全く比べ物にならないでかい津波が来たことはもうわかっている、津波堆積物は常磐海岸にも来て、かなり南まで来ているということを想定する必要があるのに東電が全く触れていないのは納得できないと、議事録にはっきりと残っています。ここまで言われたら東電としてはもうアウトだと思うんですが、これを言われても結局保安院と悪巧みをして、原発事故が起こるまで具体的な津波対策を何もしなかったのです。
実はその岡村さんが先ほどの議事録のような発言をした後に、東電の担当者たちは、しまった、岡村さんに根回しておくの忘れてたよということで、さっそく岡村さんへ根回しに行くわけですね。東電の当時の言い訳は、堆積物調査もします、それが終わってから対策しますから待ってくださいよっていうことだったんです。でも岡村さんは、いや堆積物調査なんか今更やっても無駄ですよ、だって津波がそこまで来てるっていうことは否定できないんだから、それよりも先に津波対策しなさい、というふうにはっきり言ったと証言しました。このようなこれまで事故調にも新聞記事にも全然出てこなかった事実が出てきたのは非常に大きいことだと思います。東電の担当者は保安院に対して、岡村さんは了承しましたみたいな報告をしているわけですけど、それは全く嘘だったということもこの証言で明らかになりました。このようなことを言ってくれる専門家がいたにもかかわらず、それでもやっぱり東電は無視して津波対策を何もやらずに福島第一原発を稼働し続けていたということになります。
もう一つ、4月にやった尋問では、海溝型分科会という、長期評価を作った分科会の濱田信生さんという方が、この長期評価は信頼できるという証言をするために東京地裁に来て下さいました。彼は長期評価について、これは純粋に科学的な結論なんだと。いろんなところに忖度していたら、中央防災会議だったり土木学会の津波評価部会みたいな結論になるわけだけれども、忖度しなかったら当然こうなります、というようなことをさらっと表現していただいたように思います。それから濱田さんの尋問の中では、金森博雄さんの話も登場しまして、この金森さんは本当に世界的な地震学者、日本を代表するじゃなくて世界を代表する地震学者ですが、実は彼は、2004年のスマトラの津波があった後に東海大学で講演していて、日本でもスマトラみたいな地震は起こる可能性があるんだということを公の場ではっきり言っています。それだけじゃなくて、1896年の三陸の津波地震みたいなものも宮城県の南側で起こる可能性があるんだよと、そういうことまでもう話していました。
それ以外にも、結果回避可能性の論点というのは刑事裁判でも重要だったように、株主代表訴訟でも重視されています。刑事裁判では、防潮堤、建屋の水密化と建屋内の部屋の水密化、それから電源設備の高所配置などの対策を全部やる上で、それまでは原子炉を停止していれば事故を防げましたよというような主張になっていました。株主代表訴訟は民事なので、そこまで厳密な結果回避可能性というのは主張立証しなくていいだろうと。この4つの対策どれか1つだけでもやっておけば事故は回避できた可能性がありましたよねと、そういうスタンスで主張することになっています。
この中でも特に我々として強調しているのが水密化です。水密化の対策がやっぱり一番速くて一番安いから、それさえやっておけばよかったのになぜ何もしなかったんだというところが一番重要かと考えています。とにかく東電は、刑事裁判と同じですが、15.7mのシミュレーションに対して津波対策しようと思ったら、敷地南側と真ん中と北の端っこにちょっとずつ防潮堤を造るという対策しか考えられません、水密化なんて考えられません、そこに防潮堤を造ったとしても今回の津波は全然防げませんでしたよ、というような主張を恥ずかしげもなくしているわけです。それに対しきちんと反論していかないといけないということで、東芝元技術者の渡辺敦雄さんに来て頂いて、水密化というのは潜水艦で50年、100年やっているんだから、やる気さえあればできたはずでしょうと。津波の高さについても、普通に考えた余裕として1.5倍とかそれぐらいみておけば問題なく造れたでしょうという話をして頂きました。渡辺さんだけでなく、元々船舶の方を専門にされていた後藤政志さんにも、水密化の話をいろいろ話して頂きました。
こういった通常の民事裁判でやっているような論点だけでなくて、この株主代表訴訟では、東電のリスク管理体制という話もしています。清水さんを委員長としたリスク管理委員会では、東電全体で管理すべきリスクは何なのかという検討をしていました。この中でもやっぱり原子力関係は圧倒的に多いのですが、原子力のリスクって結局何かといえば、プラントが停止するリスクだと。自然災害による原子炉事故のリスクや炉心損傷のリスクじゃないですよ。プラント停止することのリスクしかみてない。それから原子燃料サイクルが停滞することとか、果てはもう原子力設備利用率の低下みたいなのをリスク項目に置いて、原子力といえば設備利用率をいかに維持向上させるかという観点でリスク管理をしていた。逆に言うとそれしかやってなくて、原発はどうやったらもっと安全になるのか、今やっている対策で何か見落としはないかみたいなことを、まったく清水、勝俣クラスは見てなかったんだろうなと思います。そもそもそういう管理体制を取っていたこと自体が任務懈怠なんじゃないかという主張をしているわけです。
このような感じで今、株主代表訴訟の審理は続いてきています。いよいよ被告本人の尋問に入っていき、最初は武藤さんで、その後武黒、小森、勝俣、清水さんとやっていきます。特に小森さんや清水さんは刑事裁判では出てこなかった人たちですので、彼らが何を言うのかというのも注目ですし、武藤さんや武黒さんにしても、刑事裁判では被害者参加代理人という立場で一度質問しただけでしたが、株主代表訴訟という場で改めて第2ラウンドができるという状況です。おそらく来年の春ぐらいにこの一審判決が出るんじゃないかなと思います。正念場という状況になってきていますので、いい判決が出るように、ぜひ皆さんこちらも応援してください。
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