2018年5月9日 第11回公判期日報告「証人 島崎邦彦 主尋問」:監修 海渡雄一

証人 島崎邦彦 主尋問

作成 海渡雄一(午前)
佐藤真弥(午後)
監修 海渡雄一

午前10:00-12:00

1 経歴

11回公判は島崎邦彦証人の主尋問であった。

地震学の第一人者で、平成18年から20年まで日本地震学会の会長などを歴任し、平成24年9月から平成26年9月まで原子力規制委員会の委員長代理を務めた。

「地震学は真実の探求のための学問であり、他人の言わないことを言うのが研究者の役割である。他の人が述べていることに賛成すると言うことは論文として意味がない。一つの見解が正しいかどうかは、自然が示す事実によって検証するしかない。

 私は、平成21年4月から24年9月まで、地震予知連の会長を務めた。地震が発生したら、その後見通しを述べるようなことをした。」

2 地震とプレート

「地震とは地下の岩盤が破壊してずれる現象である。我々の足下で構造物を揺らす。地球はプレートテクトニクスに覆われており、それぞれのプレートが勝手な方向に動いている。地震はプレートの境界とその付近で多発している。

日本列島はユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという3つのプレートがせめぎ合っている場所に位置している。

千島、日本海溝は、太平洋プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいる場所である。沈み込みのスピードは北部も、南部房総沖もどこも一年に8-9㎝で一定している。

水平変動ベクトル図

この図は、平成14年7月31日にまとめられた長期評価の図24-1であるが、1997年から2001年の水平ベクトル図である。海側から、ほぼ同じ方向に押されていることがわかる。
内陸の地震では、震源の直上で大きな被害が起きる。

プレート内で、破壊が起きる地震もある。1933年の昭和三陸地震は海野プレートがボキンと折れた地震である。
プレート境界で起きた地震としては、東北地方太平洋沖地震、1923年関東大震災、繰り返し起きている東海、南海地震などが上げられる。

プレート境界では、海のプレートが陸のプレートを押している。押され曲げられ、限界に達すると破壊され、陸のプレートは反発運動を起こす。陸側が急上昇し、海水面が持ち上げられ、持ち上げられた海水面が保つことができず、重力によって、下に下りてゆく、それが海のスケールの大きな波となって伝わっていくのが津波である。

 津波地震とは、地震が強くないのに、津波が大きい場合に、そのように呼ばれている。

今回起きた地震は、巨大地震といわれるが、いくつかの地震が1ぺんに起きたと考えられる。869年の貞観地震も巨大地震だった可能性がある。貞観津波も内陸まで被害を及ぼし、高台まで津波が押し寄せている。」

3 地震調査研究推進本部と長期評価

島崎氏は、平成7年から平成24年3月まで地震本部の委員を務めた。
平成7年に阪神淡路の大地震が起き、その反省から議員立法で地震本部ができた。神戸で大地震が起きることは地震学者の間では常識であったが、そのことが市民にも行政にも知らされておらず、防災対策が立てられていなかった。

中央防災会議は、首相が議長であり、防災対策の実施機関として位置づけられている。
地震調査委員会は、地震について専門知識を提供する機関であり、中央防災会議は国としての地震などの防災対策を実施する機関という性格付けとなった。

 地震調査委員会の委員は、各分野の地震学の専門家を学会や行政機関から集め、そこで一つの結論をまとめるために議論を重ねる場として位置づけられた。

委員会の下には、長期評価部会と強震動部会が作られた。島崎氏は、平成13,14年には長期評価部会の部会長を務めた。
長期評価部会にも、各分野の地震学の専門家がそろえられた。長期評価部会の中には、海溝型分科会と活断層分科会が設けられていた。

証言の中で、島崎氏は、委員会、部会、分科会のメンバーの一人一人の専門分野を詳しく紹介した。これだけの専門家が議論を重ねて結論をまとめたことの意味を裁判所に認識してもらうためだった。
島崎氏は、この長期評価をまとめた際の海溝型分科会の主査も務めていた。

 島崎氏は、この審理当たって次のことに気をつけたと証言した。率直で、ざっくばらんな議論を出してもらう、どんどん専門外のことを知らない人にも質問してもらう、「わかんないんだけど」とどんどん言える雰囲気を作るように心がけた、突拍子のもないような意見も自由に言えるように、そしてメーリングリスト上でも、意見を議論を重ねた。

 平成14年7月31日にまとめられた長期評価について、海溝型分科会の主査、長期評価部会の部会長、地震調査委員会の委員として関わった。

海溝型としては、宮城県沖、南海トラフに続いて3番目の検討であった。この地域の特徴は、津波の被害が大きい、繰り返しがわかっているところと、一回しか起きていない地域があることであった。

宮城沖は30-40年間隔、南海トラフは100-200年間隔ではっきりしていた。それに引き替え、東北地方は、869年の貞観地震は知られているが、六国史は平安時代の前半以降欠落し、はっきりした文献は1600年以降400年分しかない。この点に留意して検討する必要があった。

4 長期評価報告書の本文について

報告書の構成は

  • 1)表書き 経緯
  • 2)本文 市民と防災関係者に伝えたいこと
  • 3)説明 専門家として議論の根拠を示す

となっている。

島崎氏が中心となってとりまとめた平成14年の「長期評価」は、福島県沖を含む三陸沖から房総沖にかけての領域で30年以内に20%の確率でマグニチュード8クラスの巨大津波地震が発生するという内容であった。

図1 三陸沖北部から房総沖の評価対象領域

「この長期評価は、教科書検定を通った教科書「地学基礎」にもそのまま紹介されている。
三陸沖北部については、1677年、1763年、1856年、1968年に大きな地震が起きており、100年おきという間隔が特定できる。

しかし、津波地震と海のプレート内の正断層地震は繰り返しが確認できないと判断した。
1896年明治三陸沖については異論がなかったが、それに加えて1611年慶長三陸沖、1677年延宝房総沖を津波地震であると判断した。1611年が千島沖の地震という佐竹説、1677年が陸に近い津波地震という石橋説は採用しなかった。そして、確率は固有地震としての繰り返しが確認できないので、BTP分布ではなく、ポワソン分布を使って確率を計算した。

図5 三陸沖から房総沖にかけての主な地震と主な震源域(地震調査委員会、1999)

 固有地震以外の確率はすべてポワソン分布で計算するのが当然である。今後30年間に70パーセントの確率とされる首都圏直下型地震も、ポワソン分布で計算している。ポワソン分布が信頼性が低いということはない。首都圏直下型では、そういう議論は聞いたことがない。

 BTP分布の場合、地震が起きないで時間が経過すると危険性が高くなる。これに対して、ポワソン分布の場合は、地震が起きないで時間が経過しても危険性が高くならない。防災上はこの点が違うだけで、どちらも重視しなければならない。」

5 長期評価の説明部分について

【資料13(長期評価)P17】
久保内:午前中は長期評価の本文を見た。次は長期評価の説明のところについて。
長期評価の参考資料が載せてあるが。
島崎:これ以外にもある。これらは地震についてのもの。委員らは長い学識によるバックグラウンドを持っている。頭の中には色々ある。これですべてではなく、基礎的なものを取りあえず文献として挙げてある。議論しなくてもいいようなものは挙げていない。
久保内:「地震の系列の同定」とは?
島崎:繰り返す地震が同じものかどうか、地震の起こる領域がどこか、ということ。
久保内:「過去の震源モデル」「波源域」「バックスリップ」などの記述がある。バックスリップについて説明を。
島崎:プレート境界がくっついているところにひずみがたまる。(日本海溝は)年間8cm、2年で16cmずれたい、となる。実際はずれていないが、その量を推定する。どこが何cmずれたいが、ずれていない量のこと。もうそろそろ限界であればずれるだろうという見解のバックグラウンドになる。
久保内:微小地震の研究とは?
島崎:揺れを計算したい、断層を調べたいというときに、プレート境界を知りたい。微小地震の空間分布からプレートの境界を推定することができる。
久保内:『2 2-1 地震の発生位置及び震源域の形態に関する評価の説明』について。
島崎:地震がどこで起きるか、どのくらいの広がりかを推定するため、過去の震源モデルを使う。微小地震の起こり方を調べたり、人工地震で観測したりする。プレート境界で起こる。
久保内:(図5)図の点線の東西に震源があるのか。
島崎:津波地震と共に、昭和三陸型正断層地震もある。津波地震と正断層両方のモデルだ。震源が領域を構成する。
【図5 三陸沖から房総沖にかけての主な地震と震源域】
島崎:▲が震源。壊れ始める点。楕円は震源域。今回の評価で作成したものではない。前の委員会(地震調査委員会1999)で作った。歴史地震の震源は必ずしもこの点ではない。この辺だということである。
久保内:房総沖1611年の▲には対応する震源域(楕円)がないが?
島崎:図示できるほどのものはない。
久保内:日本海溝沿いではあるか?
島崎:はい。津波は波源モデルで当時こうだろうというもの。
【長期評価P17 2-1 地震の発生位置及び震源域の形態に関する評価の説明】
島崎:プレート境界について。(津波地震の)断層の位置はまさにプレート境界面だ。
【資料14(長期評価 図4-1、4-2)】
久保内:図4-1について、震源の分布図。色は深さ。1997.10.1~2001年12.31までの期間。Nは件数、73,245件。Mはマグニチュード、ALLなので、Mが決まっているものも決まっていないものも全てプロットされている、ということでいいか。
島崎:はい。
久保内:Eのエリアは多い、G・Hは少ない、ということか?
島崎:大きい地震が起こると余震も群発して起こるためである。
久保内:Eが三陸沖、Gが福島沖、Hが房総沖だが?
島崎:この期間ではこうだが、これが未来永劫このようになるとは限らない。違う期間なら違う結果が出る。
久保内:この図が津波地震の発生評価に影響しないということか?
島崎:はい。
久保内:右側の図のアスタリスクは何を示すか?
島崎:分科会(海溝型分科会)で示したプレート境界になる。
久保内:線をつなぐとそうなるのか?
島崎:はい。
【資料13-2(長期評価P18) 「(2) 三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)」】
久保内:「(1611と1896のタイプは)同じ構造を持つプレート境界の海溝付近に、同様に発生する可能性があるとし、場所は特定できないとした」とあるが?
島崎:プレートとしては沈み込んだばかり、時間が経っていない。どこも同じ状態。
久保内:海底堆積物、付加体について議論になったか?
島崎:この評価では議論になっていない。
海底地下構造という。プレートが沈み込んだばかりで、同じ発生環境にあるという事実を重視した。付加体などはここでは議論に使われていない。
付加体については、仮説が出ている状況で、まだ皆が認めるような議論になっていない。長期評価では、明らかな事実、誰もが認めることに基づいて判断した。
久保内:佐竹(健治)先生から異論は?
島崎:何もありません。
久保内:津波地震は3つと評価された理由、1896年(明治三陸地震)を津波地震とした理由は?
島崎:「津波地震」という論文がある。その論文に使われた地震だ。M8クラスの地震で、揺れの少ない、津波が来る地震。震源がバリっと割れず、時間をかけて割れたことを明らかにしたきっかけとなった地震だ。
久保内:1677年(延宝房総沖地震)を津波地震とした理由は?
島崎:かつて私も歴史資料を見て、石橋(克彦)さんも解説した、揺れが小さく波の大きい津波。観測記録がない。阿部(勝征)さんも私も同じ海溝沿い津波地震という見解だった。
久保内:1611年(慶長三陸地震)を津波地震とした理由は?
島崎:かつて相田(勇)さんが計算して、1933年の正断層(昭和三陸沖地震)の計算と共に断層を仮定したら、1611年も合うんじゃないかとなった。新しい研究結果が出るまでは正断層型と思われていた。揺れが江戸で朝方にあって、津波は午後に来ている。4時間くらいある。都司(嘉宣)さんが調べた。2つの地震だった。1つ目は正断層、2つ目は津波地震とわかった。新しい資料の調査に基づく結果である。
久保内:福島県沖では発生していないのか?
島崎:はい。
久保内:福島沖では起こらないというのは?
島崎:そういうことは誰も言っていない。内閣府からは圧力があった。福島沖で起こる保証はないじゃないかというものだ。しかし、当時分科会や部会では、この結論に反対はなかった。
久保内:その件についてはまた後で聞きます。佐竹先生の反対はあったか?
島崎:佐竹さんの反対は別の意味だ。当時佐竹さんは産総研で、北海道の霧多布で海岸から4Kmまで波が来た津波の研究をしていた。当時は貞観型地震が理解できていなかった。佐竹さんは1611の地震は千島海溝沿いの巨大な地震で、江戸でも揺れが感じられたのでは、三陸に来たのも1つの地震、千島のものすごい地震ではないかと考えていた。
久保内:福島沖では津波地震が起きないという話は佐竹先生から聞いたか?
島崎:聞いていない。
【長期評価P22 「地殻変動の現状」】
久保内:ここの記載の意味は?
島崎:プレートはどこも同じように沈み込んでいるということを示している。
【長期評価P22 「地殻変動の現状」】
久保内:三陸沖北部から房総沖の海溝寄り領域について記載がないが?
島崎:確かにない。低周波地震について書くべきだった。私も注意を払うべきだった。
久保内:様々な文献の引用がある。
島崎:引用をしていなくても、背景となった文献がある。
久保内:どのようなものか
島崎:皆さんの背景にあって、議論していないもの。低周波地震は初代気象庁長官の方(和達清夫)が1928年に「深海地震」として発表した。「ゆらゆら揺れて他と違う地震」。いくつか引用している。
 深尾と神定の論文、普通の地震と低周波地震と分けて、低周波地震は日本海溝の深い斜面で起きて、他では起きていない。
それをきっちり添付すべきだった。事務局は教科書的なものしか読んでいなかった。気象庁の人は知っていた。(日本海溝内側の地震不活発帯=低周波地震帯)
【資料16 英字論文】
【資料17 資料16の和訳 「日本海溝の内壁直下の低周波地震ゾーン」1980】

久保内:4枚目、「Iゾーン」が日本海溝沿い、丸と二重丸がある。丸の集中が幅50Kmのゾーンのみにある。低周波地震とはゆっくり起こる地震。

5枚目、表の1

深尾・神定1980 表1をもとに作成
深尾・神定1980 表1をもとに作成

ゆっくり地震はIゾーンに集中している。この論文が、どう長期評価に影響したか。津波地震が海溝沿いで発生するという知見の背景になるのか?
島崎:報告書の中では説明していないが、このような資料が委員の皆の頭の中にあり、背景にあった。
久保内:海溝沿いの南北の領域がIゾーンに近似するのか?
島崎:そうです。

6 海溝型分科会の議事について

久保内:分科会で三陸から房総の議論は平成13年の第7回から第13回か?
島崎:はい。
久保内:1611年津波(慶長三陸)が地震津波と判断するまで議論があったようだが?
島崎:正断層と思っている人もいて、そうではない、という議論があった。後から、佐竹さんが千島海構沿いではと言い出した。
久保内:議論の最終、結論に至った理由は?
島崎:最初は、新しい知見を示した。佐竹さんの件は、津波発生地域が細長いと南や北で高くなる指向性がある。千島の場合は三陸で高くなるのは難しい。三陸で高いのが普通。1つの地震で単純に説明できていいのだが、これ(慶長三陸)を除くと三陸沖の津波の被害が実際より低くなる。そのような結論は、防災上よくないという意見があった。
次が(三陸沖から房総沖の評価が終わったあとの議論が)千島海溝の評価になるので、ひっくり返す議論をするならそこが良いと。佐竹さんは少し不満だっただろう。
久保内:1677年(延宝房総沖)の地震については?
島崎:津波地震ということで、石橋さんも阿部さんもOKだと。ただ、震源の位置が問題だった。最終的にはOKとなった。
久保内:震源の領域分けについては?
島崎:最初は図もなかった。
久保内:最初は三陸北部は海溝沿いの領域はなかったようだが?
島崎:最初は図が無くて、図が出てからみんな良くわかるようになった。
【資料18 H13.12.7 (分科会)】
久保内:まず、見ないで、言えますか?
島崎:伊豆マリアナ海溝では、大きな地震は知られていない。日本海溝の北ほど大きいものが知られている。南はM7くらいとみんな考えていた。
三陸北部は固有地震、繰り返し地震でとっつきやすい。そこから始めた。
【資料18 4枚目 P9 (分科会論点メモ)】
久保内:書面に目を通してください。
「(事務局)三陸沖北部以外の残りの三陸沖・福島沖全体について」のところで、事務局から、「三陸沖の北部については評価可能の状況だが、三陸沖の南部から福島沖までは何が評価できるか検討してほしい」とあるが?
島崎:三陸沖北部はすぐ検討できる。1回しか起きていない地震はどうするか。事務局から津波10m以上を起こす地震は防災に資すると説明があった。
久保内:「1611年の地震と869年の地震は全然わからない」とあるが?
島崎:専門以外は分からず、分からないよ、という人もいて、そういう意見は重要で、それが議論のきっかけとなった。
久保内:1677年(延宝房総沖)、遠方は誤記で延宝の地震、議論はどんな状況だったか?
島崎:1953年の房総沖の小さい地震があり、その情報はある。手掛かりにはならないかと。時々ごっちゃになる。
久保内:1677年の地震についてはまだ統一的な評価ではない?
島崎:このあと石橋さんの議論が出てくる。
【資料18 P11 (分科会論点メモ)】
「まれだが防災上無視できない地震を重視することは、私もまったく同感。どうでも良いような地震をここで時間をかけて議論するよりは、まれでも防災上無視できないものを徹底的に議論して効果のある資料をまとめたい。」
【資料19 作業用メモ 12/14】
三陸沖、福島沖(三陸沖北部)地震の長期評価
島崎:1933年(昭和三陸沖)正断層地震については、何年に1回とイワブチさんが推定している。
久保内:具体的な議論は始まっていない?
島崎:はい。
【資料20 4枚目 P20 (H14.1.11分科会 議事要旨)】
津波地震はどこでも起こるのか → 日本海溝沖でしか起こっていない
島崎:日本海溝で起こることは確立していた。環太平洋沖共通の事象。起きているのはいずれも海溝沿い。このような見解はほぼ確立していた。
【資料20】1896と1611の間の被害は → わからない → 多賀城
島崎:観測期間の問題。抜け落ちていない時代はいつか。貞観は日本三大実録がある。国史がなくなると記録がなくなる。多賀城の力が落ちてしまった。1600年以降400年は取りこぼしていない。地震が起きていないことがわかっているということも重要である。
久保内:どういうことか?
島崎:まったく地震が起きないのか、繰り返しの間隔が長いのかを考える。まったく地震が起きない地域が都合よく福島沖だとは普通は考えない。
400年の間に資料が少ないというのは、その間には地震が起こっていないからだ。期間に取りこぼしが無くて地震が起こっていないのなら、資料として豊富といえる。
1611年、1896年は、同じ場所と考えてよいのでは、という意見が出た。
久保内:1677年はどのような議論か?
島崎:ひとつは、太平洋プレートの沈み込みか、フィリピン海プレートに沈み込みか。もうひとつは、陸に近いのではないか、海溝に近くないのではという意見があった(石橋説)。
久保内:結論は出たか?
島崎:太平洋プレートの方は結論が出た。
【資料21、22 長期評価部会】
22は配られた資料
2枚目 P9 三陸沖、福島沖、茨城沖、房総沖
久保内:場所不定としながら海溝寄りと評価するとした
島崎:海溝沿いで起きたと事務局がまとめた。
【資料21 2枚目】 部会長発言
島崎:分科会できっちり確認を取っていなかった。未了だったので。
【資料23 H14.2.6 分科会議事要旨】
2-3津波地震
「過去400年の地震に1611年は入るのか?どのタイプになるのか? →(事務局)津波地震とした。1611、1896、1677を認定しポアソンで評価した。」
「400年に3回というとプログラムされているみたいだが実際は偶発的。それは反映されているか → だからポアソンにしている。 → 場所も違うし重ならない → (事務局)領域がだいぶ広いのでわかるようにしたい。
1677は石橋説なら房総沖になり400年に2回になる。→ 津波の被害が岩沼に出ているから、宮城県に及んでいるのは確かである。
久保内:この議論は?
島崎:1677年津波の被害分布から、宮城県の岩沼で死者が出ている。かなりの波が来ている。陸寄りの地震なら近くの陸にしか波が来ない。これは遠いところまで波が来ている。だから、1677は海溝沿いと判断された。
久保内:1611年については?
島崎:1611について、最近の研究をよく知らない人が発言された。ポアソンで、30年で20%という確率の高さに衝撃を受けて、本当なのか、と思った人が発言した。
久保内:1611は結論が示されたのか?
島崎:正断層と思った人がいたが、正断層は揺れもあるはず。1611の都司さんの研究で、1つの地震ではなく2つ目が津波地震であるということを知らない人がいた。古文書を示してわかってもらった。
【資料25 5P目 H14.3.8 分科会議事要旨】
図1 領域区分図
久保内:まだ海溝沿いの区分けの図がない。
島崎:事務局が議論に追い付いていないのか、どう書いていいか分からなかったのだろう。
久保内:委員の間では認識はあったのか?
島崎:はい。
【資料25】三陸北部除いたのか → 更新過程に津波も含まれている
島崎:誤解があった場面だ。事務局は、三陸中部の議論が紛れ込んでいた。海溝沿いの図について、事務局が把握していないことがわかって、きちんとしようと。
【資料26 H14.4.10 地震調査委員会?】
島崎:三陸沖から房総沖にかけてについて、まだ固まっていないが、として紹介した。古い地震についてもっと研究すべきだとアピールした。
【資料27 H14.5.14 56P 分科会議事要旨】  (野口委員から)
島崎:1953の地震は、津波地震の子ども。低周波地震では、という議論があった。
【資料27 H14.5.14 57P 分科会議事要旨】 (1677の扱いについて)
島崎:1957年が低周波地震の親玉。1677年はさらに親玉という。深尾論文は一部除きみんな知っていた。同じ世代だから。
【資料27 H14.5.14 57P 分科会議事要旨】 (1611の扱いについて)
佐竹「津波地震として、1677年は入れるか入れないかだが、1611年の位置も本当にここなのか?」
島崎:「ほとんどわからないでしょう。」
久保内:この意味は?
島崎:1677より1611の方がわからないという意味だ。阿部さんが石橋論文を示した。
久保内:1611の扱いはどうなったのか?
島崎:須田さん(事務局長?)が、大きな被害があったのだから、警告としてはあったほうがいいと。1611を取ってしまうと、被害もなかったようになって、報告書として調和しなくなる。三陸で被害があったのだから、三陸沖に含めた方がいいのでは、というところで佐竹さんと議論になった。
【資料27? H14.5.14 58P? 分科会議事要旨】(1611 佐竹と議論)
事務局「可能性があるとしてもせいぜい千島くらい。でも普通に考えればむしろ三陸の方が可能性が強いのでは?」
佐竹「そうとはいえない。北海道の記録がないから千島沖かもしれない。」
島崎:佐竹さんは千島沖ではないかと。すごい巨大地震かのように見える。
【資料27? H14.5.14 58P? 分科会議事要旨】(都司コメント)
都司、1611について
島崎:三陸沖ではないかもというコメントは残して、三陸沖で扱おうとなった。
【資料28 7P 図1 H14.5.14 分科会議事要旨にある図】
久保内:三陸北部の領域がまだ残っている。この第12回の分科会で議論された?
島崎:三陸北部の区分けを残すのはおかしい。海溝寄りを延ばそうとなった。
【資料28 7P 】(島崎発言)
久保内:これは?
島崎:1968(十勝沖)震源はもっと東だから。
久保内:矢吹委員(海上保安庁)の指摘した「線」とは?
島崎:矢吹委員が「海の中の線は何だ?」と。この線から海溝の傾斜が急になる。東北大の観測で分かった。
【資料28 】(阿部発言・都司発言)
「北部まで海溝寄りの線をひくのか?」
事務局「北部まで伸ばすことにする。海溝寄りの東西はどうするか?」
「もうちょっと東にすべきである」
阿部「『心情的』な線であるいう(ママ)ニュアンスで、点線にしてほしい。」
久保内:都司先生が、1677年について、「津波地震」という論文を示しているが?
島崎:議論の蒸し返しをしている。
久保内:結論はどうなったか?
島崎:(1611、1677、1896の)3つの地震は津波地震で、海溝沿いとなった。

休廷
再開

久保内:第12回の分科会でおおむね方向性が示された。
【資料? H14.6.18 分科会 事務局 論点メモ】
久保内:図に変更点、海溝の区域が延びた。
津波について、1677や1611の議論は確認できるか?海溝沿いの津波が(400年に)3回ということに議論はなかったか?
島崎:議論がまとまった。
【資料31-3 6P (長期評価部会?)】
久保内:平澤委員から、「スマートにまとまっている」と?
島崎:平澤先生から、よくできた評価であると意見を頂いたと思っている
吉田委員から、気になったのは1611、400年に3回は問題が残りそうだという意見があった。佐竹さんの巨大地震については、考えにくいが可能性はある。もし問題があるなら、この後は千島(海溝の長期評価)の検討の中で出るだろうと。
久保内:佐竹さんの巨大地震説とは?
島崎:佐竹グループは、津波計算の結果、根室・釧路の領域に分けた。根室・釧路が同時に起きれば巨大なものになる。しかし釧路からは50分で津波が来るので説明できない。ある程度の津波の長さが長時間続く必要があって、1611が千島沖のすごい津波である、という説は、(千島海溝の検討の)評価の途中で消えてしまった。
久保内:佐竹先生も撤回したということか?
島崎:はい。
久保内:これで了承がされたと?
島崎:はい。

7 長期評価の公表と中央防災会議からの圧力

【資料32 第101回 地震調査委員会】
久保内:三陸沖から房総沖までという領域に異論があったか?
島崎:どなたか覚えていないが、そういう意見もありますね、と。特に根拠があるとは思えない意見。単に(領域が)長いからそう思ったのでは。
久保内:これで正式に確定した?
島崎:はい。
久保内:長期評価の「表紙(おもてがみ)」には何があったか?
島崎:本来は月曜日に記者説明、水曜夜から木曜が報道解禁というのが通常のやり方である。この時は公表が7月31日となった。
前週の金曜、前田(憲二)さんから、私、津村さん、阿部さん宛てにメールが来て、内閣府の斉藤マコト参事官補佐からのメールが添付されていた。内閣府の中の検討で、上から、これは公表しないようにといわれている、ということだった。
【資料33 前田発 斉藤参事官補佐メール添付】
「非常に問題が大きく」「今回の発表は見送り」「政策委員会で検討したあとに、それに沿って行われるべきである」「やむを得ず、今月中に発表する場合においても、最低限表紙を添付ファイルのように修正」「強く申し入れます」
久保内:事務局とどういうやり取りを?
島崎:金曜に受け取った。科学的ではないと思った。前田さんは権限がないと思ったので(上司の)須田さんに電話した。「こんなもの(修正文のこと)付けるくらいなら出さない方がいい」「課長が行政権限で出すことは止められないが、私は反対だ」と言った。
久保内:科学的ではないと?
島崎:問題点4点の文書もある。それも科学的ではない。
久保内:しかし、それで出てしまった?
島崎:はい。「長期評価の信頼度について」という文書を公表に合わせて付けた。
【資料34 「プレートの沈み込みに伴う大地震に関する長期評価の信頼度について」】
島崎:「確実度」と書くと「切迫度」に見えると言われて「信頼度」としたが、本来は確実度である。
久保内:信頼度について説明を。
島崎:部会は確実度と書いていた。切迫度ととられるから信頼度とした。それでもまだ切迫度ととられるとして、書いた。
久保内:信頼度Cというのは?
島崎:信頼度は相対的なもの。回数をつけたのは、内閣府の圧力に対する答え。活断層は100あって終わったのは20。なぜ今(信頼度の付与を)やるのか。
更なる圧力は避けたい。誰が見ても同じものをつくる。回数が多い方が信頼度が高い、とわかりやすくした。
規模の評価は、津波3回はA。
発生確率は、想定地震の震源域が特定できればBPT。今回はポアソン。津波が3回なのでC。
久保内: 信頼度Cを基に防災への備えを取り入れるとしたらどうあるべきか?
島崎:どこでも起きるのだから、どこでも対策が必要。信頼度Cというのは、「30年に20%」というのが30%とか10%になるかも、という意味だ。
久保内:南海地震はすべてAだが、南海に比べれば対策しなくていいと言えるか?
島崎:いいえ。南海とは別に、起こりうるのだから対策は必要だ。対策しなくていいというのは不適切。3.11の前日、30年確率を計算し直した。10%から20%だった。十分注意すべき(確率の)大きさだった。

8 月刊地球津波地震特集号掲載論文について

【資料35 『月刊地球』】
久保内:この論文を把握しているか?
島崎:はい。
久保内:阿部論文はどのような内容か?
島崎:「総論」とあるとおり、津波地震全体を述べている。
久保内:Mt(津波マグニチュード)は従来8.2と、過小評価だった?
島崎:津波マグニチュードを作った人は、いろんな津波マグニチュードを推定している。研究結果を示した。Mtを8.2と書いた長期評価でも使った。これは国内の検潮所データは波源近くで取られていない。そのため検潮所のデータでは津波高さが小さくなってしまう。津波高さが高いのは拾えない。日本海中部地震以降。Mt8.2はその補正がされていない。
最大だと(三陸沖で)Mt9.2あるいは9.0になる。当時阿部さんも高すぎると思っていた。外国の検潮所のデータからMt8.6を求めた例がある。表に8.6がある。
阿部さんは、長期評価の公表の後、何かの機会で検討した。
久保内:それは長期評価を批判する内容か?
島崎:そうではない。想像では、外部から聞かれたのだろう。本当はMt8.6と思ったが、古い8.2を事務局が使った。
久保内:なぜそう思うのか?
島崎:東電の関係者と阿部さんは、一緒に飲みに行く間柄だから。東電は佐竹さんに質問をしに行った。当然阿部さんにも聞かないわけがない。
【地球 島崎論文】
久保内:長期評価の反響は? 
島崎:歴史地震の研究は、地震学ではマイナー。他分野の専門家は学会に出ない、最新の研究を知らない人が多い。都司さんの研究を誰も知らない。
東北大の大竹(政和)さんが地震本部に問い合わせをした。回答は事務局がした。回答案は私やおそらく津村さん、阿部さんも。(回答の後)もう一回質問が来た。大竹さんが原子力安全委員会のトップだったと、3.11のあと思い出した。
久保内:原子力安全委員会は何を気にしたのか?
島崎:福島沖で明治三陸型が起これば10mを超える津波が来る。大竹さんは福島第一原発も知っているから、びっくりしたのでは、と想像する。地震本部に何か言ってきたのは大竹さんだけだった。
【地球 谷岡勇市郎、佐竹健治論文】
久保内:何が書かれているか?
島崎:津波地震はなぜ高いか。ゆっくりすべりなら高くなるのかというと必ずしもそうではない。明治三陸モデル、断層傾斜角20度だと高くなる。10度未満だとそんなに波が高くならない。
断層を20度に上げたことが気になった。メカニズムを考えていた。様々な人が様々に考えていて、2003年当時メカニズムが確立したものはなかった。
久保内:結論についてはどう思うか?
島崎:最初は、深尾さんの考え。それでは足りないとなり、波が高くなる考え方をお二人が提案した。現在はそれは考えなくいいのでは。3.11の知見を入れれば説明がつく。当時は(ずれの長さが)10mでも大きいと思っていた。3.11の地震は50mずれたのだから。
(この論文は)学問的には面白いが、現実に適用するのは難しい。当時の流行のようなもので、佐竹さんも分科会の中には説を持ち込んでいない。佐竹さんは今、長期評価部会長だが、このような発言はしていない。
【地球 松澤暢、内田直希論文】
久保内:長期評価と異にする内容か?
島崎:半々。「発生の可能性がある」は一致。「未固結堆積物が必要」は長期評価と相容れない。
久保内:松澤さんは部会委員だが、この意見を言ったか?
島崎:言っていない。3.11後に聞いたが、「そんな論文もあったな」と忘れていた。
【地球 都司嘉宣論文】
久保内:1611年の発生原因は大規模な海底地すべりとある。証人の考え方と同じか?
島崎:揺れから推定のマグニチュードより津波からの推定マグニチュードが0.5高いというのが津波地震の定義。その定義にはあたる。メカニズムによらず、津波の高さから考える。
【地球 石橋 克彦論文】
久保内:「推本は適切でないかもしれず」とあるが?
島崎:日本海溝は鹿島海山まで、それより南は別のプレートという変わった考え。1677は鹿島海山より南で起きている。この南北の地震を同じに考えているから。ご意見としては承るが、受け入れられない。
久保内:長期評価の信頼性に影響を与えるか?
島崎:影響はない。

9 中央防災会議について

久保内:証人は中央防災会議の委員だった?
島崎:はい。専門委員だった。
中央防災会議は初めは長期評価の採用に賛成していた。私は地震本部でまとめて、中央防災会議で対策を取るに違いないだろうと思っていた。2002年(2003年の間違い?or聞き間違い)、十勝沖地震があった。30年以内に60%、M8.0、揺れも予想通りだった。中央防災会議も考えを変えたかと思ったら逆で、私がいないときの会議で決めて記者会見をした。科学的ではない結論。既成事実を作った。
久保内:中央防災会議はどんな考えだった?
島崎:繰り返し起きていない津波は無視するとした。書きはするが、対策はしない。繰り返し起きているものだけ対策すると。科学的根拠がない。
1611と1896を比べると1611の方が大きい。1896は1611の北を壊したもの。1896は今後来ると思って対策取る、繰り返しているとして評価すると。根拠めちゃくちゃ。では1611の南は何だ?壊れて残っているのだ。南に対策すべきだ。北だけまた起こるだろうとした。(3.11の津波で)気仙沼より南は8割の人が亡くなった地域だ。当然宮城沖から福島沖は繰り返しているなら可能性が高いはず。(中央防災会議も)気にはしていたようだが。
私がいれば絶対に反対していた。いない時に決めて記者発表してしまった。決まった後も、毒を食らわば皿までと思って最後まで(議論を)見た。
久保内:中央防災会議では原発のことは出たか?
島崎:気づかなかったが、議事録を見ると、横田さんが津波評価技術で明治三陸の再現をしていて、細かい所で原発を気にした発言があった。後で分かった。
もともと中央防災会議は一般防災をやるところ。原発はもっと厳しい。
津波評価技術は知らなかった。3.11後、HPで知った。
中央防災会議は強引な決め方をした。何故か。長期評価を中央防災会議で取り入れたら困る人がいる。当時は思いつかなかったが、原発は困る。一般防災より原発の方が厳しい。一般防災で決まったら、原発でより厳しくなって対策するのが大変だ。
これは想像だが、中央防災会議の人はかなり原子力の審査に関わっていた。ここで決まったら大変と、長期評価を尊重しない態度をとった。
北の次に南が壊れる。誰でもわかる理屈を覆して、捻じ曲げても決める。そのバックに何かがある。原子力に配慮した政治的な判断だとしか私には思えない。

10 長期評価の改訂と公表遅れについて

久保内:長期評価の改訂について聞きます。
平成21(2009)年3月9日、長期評価の一部改訂が予定されていた?
島崎:宮城県沖は15年置きに見直しするので。茨城県沖はM7以下が10年内70%。2008年5月8日の茨城地震の結果をいれて改訂する予定だった。
久保内:長期評価そのものの見直しは?
島崎:ない。
久保内:委員会から何か意見があったか?
島崎:ない。3.11前は、別の内容で第二版を予定していた。本来の予定では。
久保内:どこを見直した?
島崎:2005年宮城沖地震M7.5は評価の地震より小さくて残っていた。5か年計画を立てた。869年貞観の調査が始まった。津波堆積物調査が一般的になった。貞観の津波は今泉さんに頼んで、津波堆積物が福島第一から5Kmのところで見つかった。佐竹さんら産総研グループも海岸から4~5Kmのかなり離れたところでいくつか見つけた。
2005年から5か年で2010年、宮城県沖を含めるとして。
久保内:簡単に言えば、宮城県沖の見直しに、貞観を含めて、三陸沖から房総沖の長期評価と統合すると?
島崎:はい。
(資料 第166回地震調査委員会)
分科会はもう解散していた。部会でやっていた。
部会の第二版案、宮城県沖から福島県沖に貞観の警告
島崎:1500年ころに巨大地震が実際に発生していたらしい。しかし古文書が残っていない。しかし実際に発生していたことがありうる。しかし、2002年の段階では誰も把握していなかった。
久保内:地震調査委員の谷岡さんから長期評価について修正は?
島崎:ない。
久保内:(2011年11月25日公表の)第二版は、2002年版に比べて何が改訂された?
島崎:3.11はいくつかの領域が連動したこと。津波地震の回数が増えたこと。以前の3つの津波地震(1611、1677、1896)については見直しはない。領域の区分けの見直しもない。

11 土木学会重み付けアンケートについて

久保内:H16年の土木学会の重み付アンケートについて、津波評価部会はどのような部会か、どのようなアンケートか知っていたか?
島崎:原子力関係は対立する。すべての人の意見を入れるためのアンケートかと思った。
久保内:ロジックツリーアンケートは覚えているか?
島崎:紙は覚えていない。
久保内:設問は覚えているか?
島崎:はい。領域を分けて聞いていた。
【ロジックツリーアンケート結果】
島崎:JTT1~3の図は見覚えがある。
久保内:証人は①(空白域は地震起きない)にゼロ、②(どこでも起きる)に1をつけた。その理由は?
島崎:長期評価部会は②の考え方だ。当時の専門家のトップたちが考えて決めたこと。それ以外の選択肢はありえない。
久保内:重み付けで、一方にゼロや1というのはありえないという人がいるが?
島崎:その人はロジックツリーの意味が解っていない。ロジックツリーとは、いろんな人の意見を取り入れるための枝分かれ。元々の発想は、いろんな考え方があるが、それをまとめようというもの。それを取り入れようと思うなら、(そのような批判は)ありえない。そもそもロジックツリーの元々の意味をご存じない。
久保内:津波評価部会の委員に知っている人はいるか?
島崎:阿部さん、佐竹さん、首藤(伸夫)さん、今村(文彦)さん。
【資料52 土木学会津波評価部会 委員名簿】
【資料52-3 H11.11.5 津波評価技術発表のスケジュール】
久保内:長期評価の分科会より前のもの。安倍先生や佐竹先生から津波評価技術の話は出たか?
島崎:いいえ。
久保内:どういう結果で、どういう検討があったかなど話したか?
島崎:いいえ。

12 3.11の地震津波について

久保内:3.11の地震・津波とはどういうものか?
島崎:今回は、最初の何秒かは普通の海溝型地震。しかし三陸沖南部と宮城沖が同時に破壊した。そこで終わらず、海溝寄り津波地震(の領域の断層)が50mもずれた。破壊はとどまらず、その北、三陸沖中部、それまで調査がなかった(震源がなかった)ところ。福島沖、茨城沖まで拡大して、M9になった。広い地域の、貞観型という陸地奥まで浸水する海溝沿いの津波地震が同時に発生した。
【資料47 長期評価第二版 図? 震源域図】
久保内:震源、中心の多くは海溝沖か?
島崎:はい。
久保内:福島沖でも今回の一部が発生した?
島崎:はい
【資料48 長期評価第二版 図5? (緑破線が3.11 震源域)】
島崎:パーツは当たっていた。厳しく言えば、三陸沖中部は評価しないとなっていたが、それ以外は大体評価したとおり。ただ、いっぺんに起きた。別々のものは最も起きやすいものを評価した。最大に評価する手法もあるが、問題もある。一つは安易になりやすいこと。もう一つは後で検証しづらいということ。ただ、後からのことで、津波地震と一緒とは考えなかった。
久保内:3.11のときはどこにいましたか?
島崎:原子力安全基盤機構のビルの8階。TBSに解説を頼まれてTBSに行って津波を見た。
久保内:何を考えましたか?
島崎:貞観地震の考え、評価が間に合わなかった。長期評価の第二版が(2011年)3月9日発表で、夜のニュースか翌10日の新聞で報道されたはずだった。陸地3Km、4Kmまでの津波が来る内容だった。
久保内:発表され、報道されていれば、助かった人もいたか?
島崎:2月の22日、長期評価部会の前日に、地震本部事務局と保安院の打ち合わせがあった。その前、地震本部の事務局(係長?)から、3月公表予定の第二版を4月に延期してほしい。県と電力会社に連絡がいる、と言われた。3月には他にも公表する議題がいろいろあるから、と言われ、他を優先して、こちらの延期はやむを得ないかと了承した。
なぜ了承してしまったのかと後悔している。自分にも責任の一端がある。実際は3月にそんなに議題はなかった。
(津波の被害にあった)仙台の若林区のようすはよく知っている。貞観の津波は仙台東部道路のところまで来たと堆積物調査で知っていた。
なぜ延期したかと自分を責めた。

久保内:原発事故のニュースを見てどう思った?
島崎:津波被害のひどさは知っていた。岩手では部落全体が無くなる被害を知っていた。それが起きてしまったのだと。津波被害の報道で、知っている部落の名前が出てきた。
原発については知らなかった。実にひどいことをした。
久保内:長期評価について「成熟性がなかった」という意見についてどう思うか?
島崎:長期評価の検討中は、そんな意見はなかった。公表近くなって、雑音が増えてきた。
久保内:(津波地震を)ポアソンで評価している(から信頼性が低いという批判がある)ということについては?
島崎:首都直下地震もポアソンだ。(津波地震は)400年起きていないというが、首都直下は過去に起きていないところを想定し、対策を取っている。福島沖だって同じ(ように対策すべき)だろう。
まだ起きていないところはこの次起きるということ。首都直下と同じように防災対策すべき。
中央防災会議は、首都直下はしているのに、福島沖は「起こる保証がない」という。地震が少ないというが、地震が少ないというのは、間隔が長いという情報だ。情報が無いのではなく、それが情報なのだ。
(首都直下と)同じように対策をしていれば福島原発事故は防げたと思う。

閉廷

13 まとめ

  1. 島崎氏は、2002年、地震調査研究推進本部として、津波などの専門家と共に、専門分野のトップが議論して「福島県沖を含む日本海溝沿いで巨大津波を伴う地震が発生し得る」とする長期評価をまとめた。
  2. 部会の専門家の間ではさまざまな意見が出たものの、信頼性を否定するような議論はなく、最終的にまとまった内容についても異論は出なかった。部会・分科会のメンバーは地震に詳しい専門家ばかりで、自分自身も「長期評価」の考え方は正しいと思っていた。
  3. 島崎氏は、予測した地震の発生地域や規模について、「明らかに皆が認める事実や知見に基づいた」とした。
  4. 島崎氏は大地震は基本的にほぼ同じ場所で同じような地震が繰り返し起こるものだと説明したうえで、三陸沖から房総沖までの日本海溝では、海側の太平洋プレートが陸側のプレートの下に潜り込む構造をしていることからこの領域ではどこでも同じような地震が発生する環境にあると述べた。
  5. 長期評価を公表する際、内閣府の中央防災会議の担当者から、「400年の間、福島県沖では津波が起きておらず、地震が起きることは保証できるのか」と指摘されたことを明らかにし、これに対し島崎氏は、「地震が起きていないということは全く起きないか、繰り返す間隔が長いかのどちらかだが、都合よく福島県沖だけ起きないということはない」と述べ、指摘は科学的なものではなかったと指摘した。
  6. 島崎氏は、中央防災会議から、「圧力がかかった」という表現を使い、内閣府が求めていた説明文を付け加えるなら公表しないほうがよいと考え、最後まで反対したと述べた。
  7. 2011年3月9日には、東北沿岸に襲来する津波が内陸まで達する可能性があるとする長期評価の第二版を公表する予定だった。電力会社と地元への説明が必要であるとして、事務局の提案で4月に延期することを自分も了承してしまった。
  8. 島崎氏は「この延期を了承しなければ、(津波への注意喚起につながり)多くの人が助かったかもしれない。なぜ延期を認めたのかと、自分を責めた」と述べた。
  9. 東日本太平洋沖地震は「パーツ毎の評価は当たっていたが、評価した通りの地震がいっぺんに起きた」ものであると分析した。
  10. そして、長期評価に基づいて対策をとっていれば、かなりの人の命は救えた。原発事故も起きなかったと思うと述べた。

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