軽薄な判決に傍聴者は怒った:傍聴記(添田孝史)

福島原発刑事訴訟支援団撮影
福島原発刑事訴訟支援団撮影

刑事裁判、東京高裁無罪判決

東京電力福島第一原発の事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長に対する控訴審判決が1月18日、東京高裁(細田啓介裁判長)であった。細田裁判長は指定弁護士の控訴を棄却し、3人を無罪とした。

細田裁判長は2時間近くにわたって「(高い津波に)現実的な可能性がなかった」「長期評価は信頼性にかけた」と繰り返し、聞いていてうんざりし、あきれて、怒りがわいてきた。原発のような危険な施設で、役員の刑事責任はどのように判断されるべきなのか、その骨格となる論理は示されず、たんに被告側の主張をコピペしてつないだように聞こえる、薄くて軽い判決だった。閉廷後、傍聴席から「恥を知れ」とヤジが飛んだが、同じように思った人は多いだろう。

「現実的な可能性」連呼にうんざり

最大の争点は、地震調査研究推進本部が2002年7月に発表した長期評価の信頼性の評価だった。株主代表訴訟判決(2022年7月)は「相応の科学的信頼性があった」とし、東電や国に損害賠償を求めた集団訴訟の最高裁判決(同年6月)は「合理性を有する試算」と見ていたので、「長期評価に、原発を止めるほどの確実性はなかった」とした一審の判断が変わることを期待していたが、それは甘かった。

細田裁判長は、長期評価の予測する高い津波に「現実的な可能性」が無いと繰り返した。裁判要旨に出てくる「現実的な可能性」を数えるとA4サイズ7ページの中に10回あったので、読み上げた判決本文はもっと多かったことだろう。

もし東電が動かしていたのが普通の工場で、津波の被害により従業員がけがをしたという事故ならば、細田裁判長の理屈でも納得する人は多かったと思う。

しかし、福島第一原発は普通の工場とは違う。津波の予見を間違えれば日本列島の半分を住めなくしてしまう危険性を潜在的に備え持つ施設だ。勝俣元会長らが果たさなければならなかった注意義務は、普通の工場を動かすのに伴うそれより格段に高い水準のものが要求されていた。

そのためには、刑法で一般的に言われる「現実的な可能性」より、もっと桁違いに低い頻度の災害まで、原発では考える必要があった。原発に対する当時の規制もそうなっていた。

ところが、細田裁判長の判断は異なった。細田裁判長は慎重に考えた形跡もなく、工場の事故の責任を問うのと同じ視線で、原発事故の責任を裁いている。その考え方で良いのだ、という説得力も判決からは感じられず、単に形式的に処理しているだけのようだった。

これでは、刑法の目的とされる犯罪の予防は果たせないだろう。コストをかけて万全の対策をしなくても、普通の工場と同等の津波想定さえしていれば、事故を起こしても責任は問われないと東京高裁がお墨付きを与えてしまったからだ。原発事故は繰り返すことになる。

指定弁護士の神山啓史弁護士は、判決後の記者会見で、刑法一般の「現実的な可能性」と、原発が想定すべき可能性の違いについて「自然災害から原子力発電所を守る時の注意義務として、このような(判決のような)考え方でいいのか、議論の余地がある。我々としては議論をもっともっと深めていきたい」と話した。

長期評価の揚げ足取りに終始

判決の読み上げはだらだらと続いた。長期評価に「現実的な可能性」が無いことを述べるために「異論があった」「ある論文を引用していない」「波源モデルが適切でない」等々、一審と同じで、メモするのも飽きてしまったほどだ。

しかし、高裁判決の要求する「現実的な可能性」の水準を満たす地震予測はありえないだろう。これまで地震が起きた記録が無いところで、地震が起きる前に、地震断層の大きさや場所を正確に予測するのは不可能だからだ。

長期評価は100点満点ではないが、その不確実さに応じて、適切に備えていたかどうかが問われているのに、「長期評価のここに欠陥がある、ここにもある」と羅列しているだけである。

地震学のシロウトである裁判長が事細かく欠点を挙げ連ねたところで万人を説得できるはずもなく、東電土木調査グループの社員たちが、「長期評価への対策は不可避」と判断していたことだけを見ても、長期評価の信頼性の程度は十分わかるだろう。

土木学会の過大評価にあきれる

細田裁判長は、長期評価については微に入り細に入り批判するのに、土木学会の津波評価技術は、「信頼できる具体的な津波水位評価の手法」「信頼できるデータの裏付けのある波源モデル」と持ち上げている。

学会と名前はついているものの、内実は電力業界の思惑のまま動いている実態を、一審の証人たちは証言していた。それは細田裁判長の頭に残っていないようだ。

長期評価の粗探しをしたのと同じ熱意で探せば、土木学会の津波想定にも不十分な点はたくさん見つかる。策定プロセスも不透明で、不公正なやり方が目立つ。その検証はしないまま、一方的に「信頼できる」と持ち上げるのは、被告側の主張を鵜呑みにしすぎだ。

貞観地震の過小評価に口あんぐり

判決で、貞観津波の計算結果は9m前後で、敷地高さを超えていないから問題ないような言い方をしていたのには驚いた。「貞観地震タイプの波源を設定することが要求されるような知見の成熟があったという証明は不十分である」とも判決要旨には書かれているが、これもおかしい。

2008年8月18日に、津波想定を担当する東電土木調査グループの社員が、部下に送ったメールが証拠採用されている。
「推本(長期評価)は、十分な証拠を示さず、『起こることが否定できない』との理由ですから、モデルをしっかり研究していく、で良いと思いますが、869年(貞観津波)の再評価は津波堆積物調査結果に基づく確実度の高い新知見ではないかと思い、これについて、さらに電共研(土木学会への委託)で時間を稼ぐ、は厳しくないか?また、東北電力ではこの869年の扱いをどうしようとしているのか」

社内の担当者は、貞観津波を「確実度の高い新知見」と考えていたことがわかる。知見が成熟していると考えたからこそ、東北電力は波源として設定しており、東電はそれに圧力をかけて報告書を書き換えさせた事実も一審で明らかになった。専門家に根回しして貞観津波の実態が表面化しないようにしていたことも、刑事裁判の証拠上、明らかだ。

また、原子力安全基盤機構(JNES)も、貞観津波を想定すべきものとして取り扱っていたが、細田裁判長は無視している。JNESが長期評価を想定津波に取り入れていないことは、長期評価の難点として取り上げておきながら、この扱いの差はひどい。

確率論の恣意的な使い方にあぜん

細田裁判長による確率論的リスク評価の恣意的な使い方にもあぜんとした。

土木学会は事故前に、外部の研究者に、福島沖で起きる津波がどんなものになるかアンケートしている。その結果、長期評価の見解が有力という結果になっていた。それに対して、細田裁判長は、アンケートのやり方が悪いとケチをつけた。

一方で、土木学会の会員(電力会社の社員が過半)にアンケートした結果、福島第一の敷地を超える津波の襲来確率が低い、というデータは、「現実的な可能性がなかった」ことの証拠の一つとして用いている。

しかし、どちらのアンケートもやり方は同じものだ。自分の判決に都合の悪い結果についてはやり方が悪いと批判し、判決に都合のよい時はそこには触れず結果だけつまみ食いする。

この部分を読み上げるのを聞いた時、細田裁判長の正体がよくわかったような気がした。

福島原発刑事訴訟支援団撮影
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